lundi, août 20, 2007

アントニオ・タブッキ『レクイエム』(鈴木昭裕訳、白水社、1996)

Antonio Tabucchi : Requiem , 1991

タブッキに出会えたことは何という幸福だろう。
本書を読んでその思いを新たにした。

人がふたりになると、物語が生まれ、映画が生まれる。
ふたりの人間の、出会い、passion physique、別れ、再会、
を描くことをひとつの挿話とした
ゴダール『愛の世紀』(2001)を思い出す。
生きていくには物語が必要で、
そして、本書のように、それがひとつの祈りとなるときがあるのだろう。

本書「はじめに」より。
「このレクイエムは、ひとつの「ソナタ」であり、一夜にむすんだ夢でもある。
わが主人公は、同じひとつの世界のなかで、生者に会い、死者に会う。
そこに出てくるひとびと、事物、場所は、たぶんひとつの祈りを
必要としていたのだろう。そして、わが主人公には、
物語という彼なりのやり方でしか、その祈りを唱える手だてがなかった。
だが、この本はなによりもまず、わたしが舞台として選び、わたしを語り手に
選んでくれた国と、わたしが愛し、わたしを愛してくれたひとびとに捧げる
オマージュである」。

主人公は、足の悪い宝くじ売り、ジプシーのお婆さん、墓守、若き日の父、
国立美術館のバーテンダー、模写画家、灯台守の奥さん、
アレンテージョ会館のボーイ長、などなど、
たくさんのひとびとに出会っては別れ、
そしてひとりの男を待ち、ひとりの女に会うことを望み。

老婆に出会ったとき。
「それじゃ、ぼくはどうすればいいんだろう、教えてください、おばあさん。
いまのところは手はないね、老婆は答えた。
今日という日があんたを待っている。
そこから逃れることはできない、自分の運命からは逃れられないんだよ。
今日という日は、受難の日であるとともに、浄化の日でもある。
たぶん浄化のあとは自分と折り合いがつけられるようになるだろうよ、
お若いの、せめてそうなるように祈ってるよ」(29頁)。

模写画家に出会ったとき、模写画家の言葉。
「わたしはよく、こんなふうに思うのです。帯状疱疹というのは
どこか悔恨の気持ちに似ているとね。わたしたちのなかで眠っていたものが、
ある日にわかに目をさまし、わたしたちを責めさいなむ。そして、
わたしたちがそれを手なづけるすべを身につけることによって、
ふたたび眠りにつく。でも、けっしてわたしたちのなかから去ることはない。
悔恨に対してわたしたちは無力なのです」(100頁)。

Rimorso…le regret…/le sentiment d’avoir payé un prix
trop élevé pour un bénéfice quelconque.
(後悔とは、/何らかの利益のために、あまりに高い代価を
支払ったという意識のことである。)
ゴダール『ヌーヴェルヴァーグ』(1990)より。

言葉の瑞々しさや、
物語を求めていること、
ひとつの祈りを捧げていること、
を思い出させてくれた。

ジャン=フィリップ・トゥーサン(野崎歓・訳)『愛しあう』(集英社、2003)、同『逃げる』(集英社、2006)

Jean-Philippe Toussaint
: Faire l'amour , 2002 , Les Editions de Minuit
: Fuir , 2005 , Les Editions de Minuit

ジャック・プレヴェールの詩が読みたいという思いに
強く駆られていたときにふと、
彼に出会ったというわけ。
ジャン=フィリップ・トゥーサン。
1957年、ブリュッセル生まれ。ベルギー人の作家。
そしてもちろん、訳者への信頼感もあって。

『愛しあう』の原題「Faire l'amour」は、割と直接的な表現で、
日本語には訳しにくかったとのことだけど、綺麗な日本語訳になっていると思う。

『逃げる』は、『愛しあう』の続編。

『愛しあう』から引用。
しようかと思ったけれど、題名からもわかるとおり、普通の恋愛小説なので、
書き出すと居心地の悪い思いをしてしまいそう。。
そっと本の中だけに留めて置こう。

でも久しぶりに素敵な小説に出会った。

ヴォルテール『カンディード』(岩波書店(岩波文庫)、1956)

Voltaire : Candide , 1759

友人(from South Africa)が薦めてくれた本。
読み始めると一気に読めてしまうような、
波瀾万丈の物語。

題名のとおり、カンディードという一人の青年が主人公で、
酷いことばかりが起こり続ける中を、果敢に生きていく、
というような。

実は本書をまだ最後まで読めていないけれど、
ヴォルテールの思想自体ももっと学びたいと思う。

dimanche, mars 11, 2007

シューマン『音楽と音楽家』(吉田秀和訳、岩波書店(岩波文庫)、昭和33年)

本書は、「Gesammelte Schriften uber Musik und Musiker von Robert Schumann(Heinrich Simon篇)」を抜粋抄訳したもの(207頁)。

ロベルト・シューマン(Robert Alexander Schumann(1810-1856))による音楽批評。ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、ベルリオーズ、メンデルスゾーンなどについて。1830年代からのほぼ10年間が、シューマンの批評活動の最盛期であったという。批評のほとんどは、「音楽新報」という雑誌に掲載されるかたちで発表されたよう。(ここで個人的には、『カイエ・デュ・シネマ』に映画批評を発表していたトリュフォーのことを思ってしまう。)

彼がシューベルトをこよなく愛していたことが伝わってくる。

そして、1853年に、ブラームスを紹介した文章「新しき道」にて本書は終わる。次のようなもの。
「(前略)すると、果して、彼はきた。嬰児の時から、優雅の女神と英雄に見守られてきた若者が。その名は、ヨハンネス・ブラームスといって、ハンブルクの生れで、そこで人知れず静かに創作していたが、幸いにも教師にその人を得、熱心にその薀蓄を傾けてもらったおかげで、芸術の最も困難な作法を修めたすえ、さる高く尊敬されている有名な大家の紹介によって、先日私のところにきたのである。彼は誠に立派な風貌を持っていて、みるからに、これこそ召された人だと肯かせる人だった。ピアノに坐ると、さっそくふしぎな国の扉を開き始めたが、私たちはいでてますますふしぎな魔力の冴えに、すっかりひきずりこまれてしまった。彼の演奏ぶりは全く天才的で、悲しみと喜びの声を縦横に交錯させて、ピアノをオーケストラのようにひきこなした。曲はソナタ(むしろ変奏した交響曲のような)や-その言葉を知らなくてもよくわかるような、しかも深い歌の旋律がすみずみまでしみこんでいる歌曲や-実に気持のよい形式をもち、デモーニッシュな性質もところどころ見られる二三のピアノ曲や-それからヴァイオリンとピアノのソナタ-弦楽四重奏などであったが-こうした曲がどれもこれも、それぞれ趣を異にしているので、別の源泉から流れ出してくるのではないかと思われるくらいだった。またとうとうたる流れが、流れ流れて滝となって落ちるように、どの曲も散々流れた末に、彼の中に呑み尽くされるのではないかというような気もした。そうして、弓形に流れ落ちる滝の上には、のびやかな虹がかかり、岸辺には蝶々が舞い、鶯の声さえきこえた。
今後、彼の魔法がますます深く徹底して、合唱やオーケストラの中にある量の力を駆使するようになった暁には、精神の世界の神秘の、なお一層ふしぎな光景をみせてもらえるようになるだろう。願わくば、最高の守護神が彼をそこまで強化するように。彼の中にはもう一人の、謙虚という守護神がいるが、これをみても、そうした将来に備えている天の配慮のほどが偲ばれる。彼の同時代人として、私たちは世界への門出に当って彼に敬礼する。世界にでるからには、手傷を負うことも、もとより覚悟しなければならないが、月桂冠や誉れの椰子の樹もまちうけていることだろう。私たちは彼を逞ましい闘争者として歓迎する。
どんな時代にも、親しい精神の間には秘かな結盟がある。到るところ、喜びと祝福を拡げつつ、芸術の真理の光をいよいよ明かならしめるために、この結盟の盟友は、ますます提携を堅くせよ」(204-206頁)。

シューマンの文章は、「ロマン派」という言葉を思い出させるように感じられるが、ブラームスを聴いてみれば、悲しみと喜びとをともに歌うという批評は的確に思われ、またもちろん、詩や文学を愛するシューマンだからこそ、夢想的な音楽の数々が彼にはよく似合っていたのだ。

(本書は、古書店で入手しました。きっと普通の書店では見つけにくいと思います。)

シューベルト『音楽に寄せて』

(読書ではありません。)

シューベルトの歌曲『音楽に寄せて(An die Musik)』は次のようなもの。

(日本語)「やさしい芸術よ、何と数多くの灰色の時、/人生に容赦なくわずらわされた時に、/私の心に火をつけて温かい愛情を感じさせ、/よりよい別世界に運んでくれたことでしょう。//あなたの竪琴から流れ出る溜め息が、/あなたの甘く清らかな諧音が、/しばしば私によりよい時の天国を開いてくれました。/やさしい芸術よ、私はそれをあなたに感謝いたします。」
(ドイツ語)「Du holde Kunst, in wieviel grauen Stunden,/Wo mich des Lebens wilder Kreis umstrickt/Hast du mein Herz zu warmer Lieb' entzunden./Hast wich in eine bess're Welt entruckt!//O ft hat ein Seufzer, deiner Harf'entflossen,/Ein suβer,heiliger Akkord von dir,/Den Himmel bess'rer Zeiten mir erschlossen,/Du holde Kunst ich danke dir dafur!」

samedi, mars 03, 2007

シューベルト『冬の旅』

(読書ではありません。)

『冬の旅』についての覚え書き。

フランツ・シューベルト(Franz Schubert、1797-1828 )の歌曲集『冬の旅(Winterreise)』は、 シューベルトと同時代の詩人であるヴィルヘルム・ミュラー(Wilhelm Muler、1794-1827)の詩に基づくもの。

『冬の旅』の主人公は、愛が実らず孤独のうちに旅に出る青年であり、
第1部は1827年2月、第2部は、1827年10月に作曲されたとされている。
シューベルトが死の床にて完成させた作品。

内容は、第1部 1.おやすみ/2.風見/3.凍った涙/4.氷結/5.菩提樹/6.雪どけの水流/7.川の上で/8.かえりみ/9.鬼火/10.休息/11.春の夢/12.孤独 である。
第2部 13.郵便馬車/14.白い頭/15.鴉/16.最後の希望/17.村にて/18.嵐の朝/19.幻/20.道しるべ/21.宿屋/22.勇気を!/23.幻日/24.ライアー回し である。

例えば、「第1部 1.おやすみ(Gute Nacht)」の歌詞は次のようなもの。

(日本語)「よそ者としてやってきては、/よそ者のまま去っていく。/5月は僕に好意を寄せて/数々の花束を贈ってくれた。/少女は愛していると言ってくれたし、/その母は結婚のことまで口にした-/ところがいま世の中は陰鬱で、/道は雪に覆われている。//僕は旅に出るのにも/時を選ぶわけにはいかない。/この暗闇の真っ只中で/自分で道を探さねばならない。/月の落とす影だけが/僕の旅の道連れだ、/そして一面真っ白な中で/獣の通い路を探すのだ。//どうしてこれ以上とどまれようか。/みんなが僕を追い出すというのに、/主人の家の前で吠える/狂った犬どもには勝手に吠えさせておけ。/愛はさすらいを好むもの、/神様が愛をそう創られたのだ、/一人からまた別の一人へと、/愛するかわいい子よ、おやすみ。//君が見ている夢を妨げるつもりはない、/君の眠りを乱そうとは思わない、/足音が君に聞こえないように、/そっと、そっと扉を閉めて。/通りがかりに門に書く、/君に「おやすみ」と。/君が起きた時にわかるように、/君を想いながら去ったことが。」

(ドイツ語)「Fremd bin ich eingezogen,/Fremd zich'ich wieder aus./Der Mai war mir gewogen/Mit manchem Blumenstrauβ./Das Madchen sprach von Liebe,/Die Mutter gar von Eh'-/Nun ist die Welt so trube,/Der Weg gehult in Schnee.//Ich kann zu meiner Reisen/Nicht wahlen mit der Zeit:/Muβ selbst den Weg mir weisen/In dieser Dunkelheit./Es zieht ein Mondenschatten/Als mein Gefahrte mit,/Und auf den weiβen Matten/Such'ich des Wildes Tritt.//Was soll ich langer weilen,/Daβ man mich trieb'hinaus,/Laβ irre Hunde heulen/Vor ihres Herren Haus./Die Liebe liebt das Wandern,/Gott hat sie so gemacht,/Von einem zu dem andern,/Fein Liebchen,gute Nacht.//Will dich im Traum nicht storen,/War'schad um deine Ruh'/Sollst meinen Tritt nicht horen,/Sacht,sacht,die Ture zu./Schreib'im Vorubergehen/Ans Tor dir gute Nacht,/Damit du mogest sehen,/An dich hab'ich gedacht.」

mercredi, février 14, 2007

アラン『幸福論』(神谷幹夫訳、岩波書店(岩波文庫)、1998)

アラン(1868-1951)は、40年間、リセ(高等中学校)にて哲学教師を務めた人。
本書は、幸福についての断章(Propos sur le bonheur)。

いくつかの言葉たちを書き留めておく。

「自分が本当に得たいと思うものを欲すること、これは往々にして、人生の極意でもある」(21頁)。
「君が射った矢は一本残らず君の上に落ちてくる。自分自身が敵なのだ」(26頁)。
「人はみな、己が欲するものを得る」(98頁)。
「幸福はやはりすべて創り出さねばならぬことを忘れてはならない。自分の心の中に財産を持っていない者は退屈によってねらわれ、すぐにとらえられてしまう」(140頁)。
「ではいったい、どうすればよいのか。こうするのだ。悲しい思いになってはならない。希望すべきだ。人にほんとうに与えうるのは、自分のもっている希望だけなのだ。自然を当てにし、未来を明るく考え、生命は必ず勝利すると信じなければならない。これは思っているよりもやさしいことだ。自然にかなっていることだから。生きているものはすべて、生命が必ず勝利すると信じている。さもなければ、すぐに死んでしまうであろう」(195頁)。
「死者たちは死んではいない。そのことはまったく確実である。われわれが生きているのだから。死者たちは考えている、語っている、行動している。助言し、欲し、承認し、非難することができる。これらはすべて本当である。しかし、それに耳を傾けなければならない。それらはすべて、われわれのうちにある。われわれのうちで確かに生きているのだ」(204頁)。
「人間には自分自身以外に敵はほとんどいないものである。最大の敵はつねに自分自身である。判断を誤ったり、むだな心配をしたり、絶望したり、意気阻喪するようなことばを自分に聞かせたりすることによって、最大の敵となるのだ。ある人間に、「あなたの運命はあなた次第だ」と、ただ言うだけでも十分、10フランに値する教えである」(223頁)。
「堂々と生きること、自分自身の心に激しい苦痛を与えないこと、そして伝染によって、大げさな悲劇的なことばによって、他人に苦痛を与えないことである。さらにもっとよいことがある。なぜなら、すべてのことは互いにつながっているのだから。人生の小さな不幸について、それを吹聴したり、見せびらかしたり、誇張したりしないことである。他人に対して、また自分に対しても親切であること。他人が生きるのを支えてあげること、自分が生きて行くのも支えてあげること。これこそ、ほんとうの愛徳(charite)である。親切とはよろこびにほかならない。愛(amour)とはよろこびにほかならない」(246頁)。
「最後に、ほんとうに納得するのは、いつも心のいちばん奥にある思いなのだ。だれでもみんな、生きることを求めている。死ぬことではないのだ。だから、生きている人びとをさがしている。つまりぼくの言うのは、自分に「これでよし」と言っている人たち、自分のよろこびを顔に出している人たちのことだ」(308頁)。
「幸福になることはまた、他人に対する義務でもあるのだ。これはあまり人の気付いていないことである。人から愛されるのは幸福な人間だけである、とはいみじくも喝破したものだ。しかし、こういう報酬は正当なものであり、受けるに値するものだということが忘れられている。なぜなら、不幸や退屈さや絶望はわれわれみんなが吸っている空気のなかにあるのだから。(中略)だから、愛のなかで絶対幸福になるという誓い以上に強い意味は何もないのだ。愛する人たちの退屈、悲しみ、不幸以上に乗り越えがたいものがあるだろうか。人はだれも、男も女も、幸福は、ぼくの言うのは自分のためにかちとる幸福だが、それはもっとも美しい捧げ物であり、もっとも恵み深いものであることを、たえず考えねばならないであろう」(313頁)。
「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」(314頁)。

mardi, février 13, 2007

『とはずがたり』(新潮日本古典集成、福田秀一校注、新潮社、昭和53年)

【あらすじ】
本書は、鎌倉時代の中期、13世紀後半の宮廷で、後深草院に仕えた二条と呼ばれる女性の自伝ともいうべき作品(3頁参照)。巻1から巻5までに分かれる。巻1から3までは宮廷での生活、4及び5は、尼となった後の諸国遍歴を記したもの。 作者は、2歳で母を失い、4歳のときから後深草院の御所に出入りするようになる。『とはずがたり』は作者が14歳のときから始まる。そのとき、作者には、心を寄せ合っていた人がいたところ、この頃から後深草院に愛されるようになる。15歳で父を亡くし、以後、「曙」や「有明」の存在を持ちながら、院に仕える生活を続けていく(巻3までの内容)。

【感想】
後朝の文をはじめとして、文(ふみ)の趣深さが常に印象的。
例えば、院が作者をはじめて訪れたとき、彼女はずっと泣き通しだったよう。翌朝、院は「あまた年さすがに慣れにし小夜衣 重ねぬ袖に残る移り香」(長年の間、さすがに慣れ親しんだお前のことゆえ、昨夜は重ねなかった私の袖にも、お前の衣服の匂が移って、恋しいことだ)と送る。そして、どこからききつけたのか、作者と心を寄せ合っていた人から「今よりや思ひ消えなん一方に 煙の末のなびき果てねば」(これからは、私はあなたへの思いに耐え切れずに消え入ってしまうでしょう、もしもあなたが院になびいてしまったならば)との文が届く。これに対し作者は「知られじな思ひ乱れて夕煙 なびきもやらぬ下の心は」(お分かりにならないでしょうね、あなたへの愛にも引かれて思い乱れ、夕風に迷う煙のように、どちらへもなびき切れずに悩んでいる私の本心は)と返答する(18-19頁)。

そしてまた、作者の出離への思いはあちこちに現れてくる。
例えば、自分が産んだ子の死を知ったとき。「前後相違の別れ、愛別離苦の悲しみ、ただ身一つにとどまる。幼稚にて母に後れ、盛りにて父を失ひしのみならず、今またかかる思ひの袖の涙、かこつ方なきばかりかは。慣れ行けば、帰る朝は名残を慕ひて又寝の床に涙を流し、待つ宵には更け行く鐘に音を添へて、待ちつけて後はまた世にや聞えんと苦しみ、里に侍る折は君の御面影を恋ひ、かたはらに侍る折はまたよそに積る夜な夜なを恨み、わが身にうとくなりまします事も悲しむ。人間のならひ、苦しくてのみ明け暮るる」(72-73頁)。「三従の愁へ逃れざれば、親に従ひて日を重ね、君に仕へても、今日まで憂き世に過ぎつるも心のほかになど思ふより、憂き世を厭ふ心のみ深くなり行く」(73-74頁)。

院と作者の関係は時とともに変容していく。院の御愛情がいつまで続くものかとの不安。離れている時間の方が多くなっていくこと。ふたりの文のやりとり。
院「荒れにける葎の宿の板庇 さすが離れぬ心地こそすれ」(荒れてしまった宿に侘び住まいをしているお前でも、かねてからの仲ゆえにさすがに離れられぬ気がする)に対して、作者「あはれとて訪はるることもいつまでと 思へば悲し庭の蓬生」(私をあわれと思ってお訪ねいただくことも、いつまで続くかと思いますと、この荒れた蓬生の暮らしがしきりに悲しく思われます)と返す(186頁)。
院「かき絶えてあられやするとこころみに 積る月日をなどか恨みぬ」(お前と離れて生きていけるかと、近年試みにそのように過ごしてみたが、そうして会わずに積もる月日を、お前は何故恨んでこないのか)に対して、作者「かくて世にありと聞かるる身の憂さを 恨みてのみぞ年は経にける」(こうしてまだ世の中に生きていることを知られるわが身のつらさを恨むだけで、私は年月を経てきました。院をお恨み申してはいません)と返す(220頁)。
そして、最終的には、御所を追放され、作者は後に、出離への思いを果たすことになる(巻4及び5)。

samedi, décembre 30, 2006

ジャン=リュック・ゴダール『ゴダール全評論・全発言Ⅱ1967-1985』(筑摩書房、1998)

ジャン=リュックは、いつまでも汲み尽くされることのない泉だ。
そのような思いを確かなものにしてくれる本書は、題名のとおり、ゴダールの発言集。第2巻。

彼にとって、『勝手にしやがれ』が第1の処女作であるとすると、『勝手に逃げろ/人生(sauve qui peut(la vie))』(1980)が第2の処女作である。

『勝手に逃げろ/人生(sauve qui peut(la vie))』(1980)について、彼は次のように述べる。
「労働=愛=映画」と題されたインタヴューから、いくつかの箇所を抜粋。

「ぼくが自分の人生はこれからだと感じるのはこれが二度目だ。映画の世界でのぼくの二度目の人生がこれから始まるわけだ・・・というよりはむしろ、三度目の人生が始まるわけだ。一度目は、まだ映画をつくっていなかった時期、映画のまわりをうろついていた時期、さがし求めていた時期だ。そして二度目は、『勝手にしやがれ』から1968~70年までの時期だ。ついで引き潮の時期が来る。あるいは満ち潮の時期が来る・・・どう言えばよいのか・・・そして三度目はこれからだ。まだ一度もなされたことのないなにかをするという印象、二度目の人生を生きるという印象をもったはずだ・・・(中略)ぼくはよく、おまえは過激派だと言われたものだ。でも実際は、両極端を必要とする中庸の人間なんだ。ぼくはこれまでずっと、対照というものを愛してきた。それというのも、対照というのは撮影の次元においてさえ、正しい配分というものを考えることを可能にしてくれるからだ。(中略)中庸に位置をとるというのは、正義を定める場合と同様、両極端を考慮に入れるということだからだ。(中略)ぼくは、その両方が正しいと言っているわけだ・・・ひとはあまりに極端に近づきすぎると、しまいにはさじを投げてしまうことになる。だからぼくは中庸にもどろうとしているわけだ。われわれは初期のころは、トリュフォーとともに[全員が]中庸から出発したものなんだ・・・
 この映画の題名に≪人生≫という言葉が入っているのはそのためだ。『勝手に逃げろ/人生』というのは、自分にできるやり方で人生を救う[あるいは「命拾いをする」]ということだ。そしてこのことは、あの女たちよりもあの男にとっての方が難しいというわけだ。(中略)映画の世界というのは実際は、人生の現像所なんだ。そこではすべてを見ることができる。生産関係も、恨みつらみも、色恋沙汰も、親と子の関係も、労働者と経営者の関係も見ることができる。しかもこれらのすべてが芸術的商品を製造するために機能している。映画の世界というのは、人生を生きながらしかも人生を学ぶことのできる楽園なんだ。ぼくの興味をひくのはこうしたこと、より大きくてしかもより見事なリズムをもった愛の瞬間を見つけるということなんだ。もっとも、そのためにはいくらか年をとりすぎたかもしれない・・・人々は手ごろな映像をもとにして、愛と労働を、家と工場を、休暇と余暇を区別して考えている。でもぼくにとっては、労働と余暇の間に違いはない。ひとつのメロディーのなかに調子の盛りあがる部分と弱まる部分があるようなものなんだ」(284-286頁)。

「失われた楽園というのは掟のない世界のことだ。そして映画づくりをするというのは、そうした世界をよく知るということ、ひとがそこで笑うことのできる世界をよく知るということだ。(中略)映画をプロデュースするというのは、きわめて人間的で、しかも笑うのによく似たことなんだ。でもそのことは少しも口にされていない。これは秘密にしておくべきことなんだ。ぼくが思うのに、人々がぼくをはねつけたり憎んだりしたのは、こうしたことを口にするからだ。ぼくは実生活のなかではあえてしようとしないようなことも、映画の世界ではしてしまうからだ。ぼくには恐れるものがないからなんだ」(294頁)。

「アメリカ人がほかの人々よりも力強いのは、アメリカ人はそれを、終わりと始まりを生きているからだ。かれらはこのうえなく強力な産業を手にしている。そしてその産業は、倒産が最も頻繁におきている産業なんだ。ルノーが明日から靴下のメーカーにかわるなどというのは思いもつかないことだ。それに対してアメリカでは、経営がうまくいかなくなった車のメーカーは、グリンピースとか家具とかをつくろうとする。かれらはつねに活気にあふれていて・・・建設し、破壊し、またはじめからやり直すわけだ」(299頁)。

「そう、あれはアンヌ=マリー・ミエヴィルの言葉だ・・・愛はぼくの次の映画でよりずっと多く描かれるはずだ・・・これは最初の映画であるわけで、だから労働に大いに力点を置いたわけだ。
 それでも、ぼくは愛なしで労働することができたためしがない。(中略)女性との関係においても、その女性がぼくと同じ労働をしているのでなければ、あるいはその女性が自分のいる場所でぼくと等価の量の労働をしていて、その結果ぼくらは共通の問題をかかえていると感じられるのでなければ、その女性といったいなにについて話しあうことができるだろう?われわれはよき愛の関係を結んでいれば、労働のうえでもよき関係を結んでいるものだ。そうでなければ、労働のうえでのよき関係を結ぶことはできない」(301頁)。

 「映画の4分の3は、女性を憎む男性によってつくられている。それに白人の男性の大部分は、女性を憎んでいる。そしてぼくも、そのようにして映画をつくりはじめたはずだ。でも女性がいなければ、映画づくりをすることはできない。だからぼくは、女たちと商業的関係を結ばなければならなかった。ついで女たちに関心をもつようになった。映画はぼくにとっては、女たちとより健全な関係をもつための手段なんだ。われわれは同じ門をくぐり、共同の仕事をするというわけだ・・・」(304-305頁)。

次に、「マリアMARIEのなかには愛AIMERがある」と題されたインタヴューから抜粋。
テレビについて。
「ぼくに言わせれば、ヨーロッパの産業地帯とアメリカにおける文化的な飢餓というのは、人々のなかに表されることのないばかでかい不安があって、それが人々を、映像と呼ばれているもの-いわばスライドの映像-をチョコレートを食べるかのようにやたらに食べるようかりたてているというところにある。そしてぼくに言わせれば、このことは物質的な飢餓と完全に直接的につながりのあることなんだ。かりにテレビの技術スタッフに≪クレジットタイトルを大いに派手なものにしてくれ≫と言うとすれば、そう、それによってエチオピアで子供がたくさん死ぬことになるんだ。そしてそれは、金をそうしたことにつかうからじゃなく、この二つのことは完全に直接的なつながりのあることだからなんだ。(中略)人々はかつて、テレビは映像の勝利を意味すると信じさせられていた。それにマクルーハンという詐欺師がいて、それに奉仕しさえした。でもテレビでは実際は、次第に写真がふえていき、映像の方は次第に少なくなってきている。テレビには、何も見せようとはせず、ただなにかを再現するだけの小さな断片が数多くあるだけなんだ。かりに君たちが、テレビでアフガニスタンの映像を見ましたと言うとすれば、ぼくはこう言うはずだ。いや、君たちが見たのはダーバンを巻いたある男の映像だ、と。アフガニスタンの映像をつくるためには、少なくとも三者が一体とならなければならない。そしてその三者一体のなかで、テレビという人格がある役割を果たさなければならない。そうでなければ映像は存在しない、子供は生まれないんだ」(626-627頁)。

 (本書のフランス語版原書にあたりたい場合は、日仏学院のメディアテークへ。ただ、私が以前訪れた当時の話なので、ない場合はご容赦を。)

森鷗外「かのやうに」(森林太郎『鷗外全集第10巻』岩波書店、昭和47年)より

「かのやうに」は、明治45(1912)年1月1日発行の雑誌『中央公論』にて発表されたもの。

大学にて歴史学を修め、父である子爵の財力のため、卒業後直ちに洋行した秀麿の、帰国後の話。
父と息子の葛藤。
「そこで秀麿は父と自分との間に、狭くて深い谷があるやうに感ずる。それと同時に、父が自分と話をする時、危険な物の這入つてゐる疑のある箱の蓋を、そつと開けて見ようとしては、その手を又引つ込めてしまふやうな態度に出るのを見て、歯痒いやうにも思ひ、又気の毒だから、いたはつて、手を出さずに置かなくてはならないやうにも思ふ。父が箱の蓋を取つて見て、白晝に鬼を見て、毒でもなんでもない物を毒だと思つて怖れるよりは、箱の内容を疑はせて置くのが、まだしもの事かと思ふ」(64頁)。
「秀麿と父との對話が、ヨオロッパから歸つて、もう1年にもなるのに、兎角對陣している兩軍が、雙方から斥候を出して、その斥候が敵の影を認める度に、遠方から射撃して還るやうに、はかばかしい衝突もせぬ代りに平和に打ち明けることもなくてゐるのは、かう云ふわけである。
 秀麿の銜えている葉巻の白い灰が、大ぶ長くなつて持つてゐたのが、とうとう折れて、運動椅子に倚り掛かつてゐる秀麿のチョツキの上に、細い鱗のやうな破片を留めて、絨毯の上に落ちて碎けた。今のやうに何もせずにゐると、秀麿はいつも内には事業の壓迫と云ふやうな物を受け、外には家庭の空氣の或る緊張を覺えて、不快である」(65頁)。