<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd='http://schemas.google.com/g/2005' xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128</id><updated>2011-09-30T21:26:49.877+09:00</updated><title type='text'>antoine et colette_colette</title><subtitle type='html'>読書日記です。</subtitle><link rel='http://schemas.google.com/g/2005#feed' type='application/atom+xml' href='http://etcolette.blogspot.com/feeds/posts/default'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default?max-results=100'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/'/><link rel='hub' href='http://pubsubhubbub.appspot.com/'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><generator version='7.00' uri='http://www.blogger.com'>Blogger</generator><openSearch:totalResults>29</openSearch:totalResults><openSearch:startIndex>1</openSearch:startIndex><openSearch:itemsPerPage>100</openSearch:itemsPerPage><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-6383119353713066797</id><published>2007-08-20T21:13:00.001+09:00</published><updated>2008-05-26T22:38:41.295+09:00</updated><title type='text'>アントニオ・タブッキ『レクイエム』（鈴木昭裕訳、白水社、１９９６）</title><content type='html'>Antonio Tabucchi : Requiem , 1991&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;タブッキに出会えたことは何という幸福だろう。&lt;br /&gt;本書を読んでその思いを新たにした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人がふたりになると、物語が生まれ、映画が生まれる。&lt;br /&gt;ふたりの人間の、出会い、passion physique、別れ、再会、&lt;br /&gt;を描くことをひとつの挿話とした&lt;br /&gt;ゴダール『愛の世紀』（２００１）を思い出す。&lt;br /&gt;生きていくには物語が必要で、&lt;br /&gt;そして、本書のように、それがひとつの祈りとなるときがあるのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;本書「はじめに」より。&lt;br /&gt;「このレクイエムは、ひとつの「ソナタ」であり、一夜にむすんだ夢でもある。&lt;br /&gt;わが主人公は、同じひとつの世界のなかで、生者に会い、死者に会う。&lt;br /&gt;そこに出てくるひとびと、事物、場所は、たぶんひとつの祈りを&lt;br /&gt;必要としていたのだろう。そして、わが主人公には、&lt;br /&gt;物語という彼なりのやり方でしか、その祈りを唱える手だてがなかった。&lt;br /&gt;だが、この本はなによりもまず、わたしが舞台として選び、わたしを語り手に&lt;br /&gt;選んでくれた国と、わたしが愛し、わたしを愛してくれたひとびとに捧げる&lt;br /&gt;オマージュである」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;主人公は、足の悪い宝くじ売り、ジプシーのお婆さん、墓守、若き日の父、&lt;br /&gt;国立美術館のバーテンダー、模写画家、灯台守の奥さん、&lt;br /&gt;アレンテージョ会館のボーイ長、などなど、&lt;br /&gt;たくさんのひとびとに出会っては別れ、&lt;br /&gt;そしてひとりの男を待ち、ひとりの女に会うことを望み。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;老婆に出会ったとき。&lt;br /&gt;「それじゃ、ぼくはどうすればいいんだろう、教えてください、おばあさん。&lt;br /&gt;いまのところは手はないね、老婆は答えた。&lt;br /&gt;今日という日があんたを待っている。&lt;br /&gt;そこから逃れることはできない、自分の運命からは逃れられないんだよ。&lt;br /&gt;今日という日は、受難の日であるとともに、浄化の日でもある。&lt;br /&gt;たぶん浄化のあとは自分と折り合いがつけられるようになるだろうよ、&lt;br /&gt;お若いの、せめてそうなるように祈ってるよ」（２９頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;模写画家に出会ったとき、模写画家の言葉。&lt;br /&gt;「わたしはよく、こんなふうに思うのです。帯状疱疹というのは&lt;br /&gt;どこか悔恨の気持ちに似ているとね。わたしたちのなかで眠っていたものが、&lt;br /&gt;ある日にわかに目をさまし、わたしたちを責めさいなむ。そして、&lt;br /&gt;わたしたちがそれを手なづけるすべを身につけることによって、&lt;br /&gt;ふたたび眠りにつく。でも、けっしてわたしたちのなかから去ることはない。&lt;br /&gt;悔恨に対してわたしたちは無力なのです」（１００頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Rimorso…le regret…/le sentiment d’avoir payé un prix&lt;br /&gt;trop élevé pour un bénéfice quelconque.&lt;br /&gt;（後悔とは、/何らかの利益のために、あまりに高い代価を&lt;br /&gt;支払ったという意識のことである。）&lt;br /&gt;ゴダール『ヌーヴェルヴァーグ』（1990）より。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;言葉の瑞々しさや、&lt;br /&gt;物語を求めていること、&lt;br /&gt;ひとつの祈りを捧げていること、&lt;br /&gt;を思い出させてくれた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-6383119353713066797?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/6383119353713066797'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/6383119353713066797'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2007/08/blog-post_9208.html' title='アントニオ・タブッキ『レクイエム』（鈴木昭裕訳、白水社、１９９６）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-2223485524564747762</id><published>2007-08-20T20:56:00.000+09:00</published><updated>2007-08-20T21:12:49.973+09:00</updated><title type='text'>ジャン＝フィリップ・トゥーサン（野崎歓・訳）『愛しあう』（集英社、２００３）、同『逃げる』（集英社、２００６）</title><content type='html'>Jean-Philippe Toussaint&lt;br /&gt;: Faire l'amour , 2002 , Les Editions de Minuit&lt;br /&gt;: Fuir , 2005 , Les Editions de Minuit&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ジャック・プレヴェールの詩が読みたいという思いに&lt;br /&gt;強く駆られていたときにふと、&lt;br /&gt;彼に出会ったというわけ。&lt;br /&gt;ジャン＝フィリップ・トゥーサン。&lt;br /&gt;１９５７年、ブリュッセル生まれ。ベルギー人の作家。&lt;br /&gt;そしてもちろん、訳者への信頼感もあって。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『愛しあう』の原題「Faire l'amour」は、割と直接的な表現で、&lt;br /&gt;日本語には訳しにくかったとのことだけど、綺麗な日本語訳になっていると思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『逃げる』は、『愛しあう』の続編。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『愛しあう』から引用。&lt;br /&gt;しようかと思ったけれど、題名からもわかるとおり、普通の恋愛小説なので、&lt;br /&gt;書き出すと居心地の悪い思いをしてしまいそう。。&lt;br /&gt;そっと本の中だけに留めて置こう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;でも久しぶりに素敵な小説に出会った。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-2223485524564747762?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/2223485524564747762'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/2223485524564747762'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2007/08/blog-post_20.html' title='ジャン＝フィリップ・トゥーサン（野崎歓・訳）『愛しあう』（集英社、２００３）、同『逃げる』（集英社、２００６）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-3441137436862395745</id><published>2007-08-20T20:50:00.000+09:00</published><updated>2007-08-20T20:56:03.520+09:00</updated><title type='text'>ヴォルテール『カンディード』（岩波書店（岩波文庫）、１９５６）</title><content type='html'>Voltaire : Candide , 1759&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;友人（from South Africa）が薦めてくれた本。&lt;br /&gt;読み始めると一気に読めてしまうような、&lt;br /&gt;波瀾万丈の物語。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;題名のとおり、カンディードという一人の青年が主人公で、&lt;br /&gt;酷いことばかりが起こり続ける中を、果敢に生きていく、&lt;br /&gt;というような。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;実は本書をまだ最後まで読めていないけれど、&lt;br /&gt;ヴォルテールの思想自体ももっと学びたいと思う。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-3441137436862395745?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/3441137436862395745'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/3441137436862395745'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2007/08/blog-post.html' title='ヴォルテール『カンディード』（岩波書店（岩波文庫）、１９５６）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-5603513553579962235</id><published>2007-03-11T22:18:00.000+09:00</published><updated>2007-03-11T23:00:48.327+09:00</updated><title type='text'>シューマン『音楽と音楽家』（吉田秀和訳、岩波書店（岩波文庫）、昭和３３年）</title><content type='html'>本書は、「Gesammelte Schriften uber Musik und Musiker von Robert Schumann（Heinrich Simon篇）」を抜粋抄訳したもの（２０７頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ロベルト・シューマン（Robert Alexander Schumann（１８１０－１８５６））による音楽批評。ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、ベルリオーズ、メンデルスゾーンなどについて。１８３０年代からのほぼ１０年間が、シューマンの批評活動の最盛期であったという。批評のほとんどは、「音楽新報」という雑誌に掲載されるかたちで発表されたよう。（ここで個人的には、『カイエ・デュ・シネマ』に映画批評を発表していたトリュフォーのことを思ってしまう。）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼がシューベルトをこよなく愛していたことが伝わってくる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして、１８５３年に、ブラームスを紹介した文章「新しき道」にて本書は終わる。次のようなもの。&lt;br /&gt;「（前略）すると、果して、彼はきた。嬰児の時から、優雅の女神と英雄に見守られてきた若者が。その名は、ヨハンネス・ブラームスといって、ハンブルクの生れで、そこで人知れず静かに創作していたが、幸いにも教師にその人を得、熱心にその薀蓄を傾けてもらったおかげで、芸術の最も困難な作法を修めたすえ、さる高く尊敬されている有名な大家の紹介によって、先日私のところにきたのである。彼は誠に立派な風貌を持っていて、みるからに、これこそ召された人だと肯かせる人だった。ピアノに坐ると、さっそくふしぎな国の扉を開き始めたが、私たちはいでてますますふしぎな魔力の冴えに、すっかりひきずりこまれてしまった。彼の演奏ぶりは全く天才的で、悲しみと喜びの声を縦横に交錯させて、ピアノをオーケストラのようにひきこなした。曲はソナタ（むしろ変奏した交響曲のような）や－その言葉を知らなくてもよくわかるような、しかも深い歌の旋律がすみずみまでしみこんでいる歌曲や－実に気持のよい形式をもち、デモーニッシュな性質もところどころ見られる二三のピアノ曲や－それからヴァイオリンとピアノのソナタ－弦楽四重奏などであったが－こうした曲がどれもこれも、それぞれ趣を異にしているので、別の源泉から流れ出してくるのではないかと思われるくらいだった。またとうとうたる流れが、流れ流れて滝となって落ちるように、どの曲も散々流れた末に、彼の中に呑み尽くされるのではないかというような気もした。そうして、弓形に流れ落ちる滝の上には、のびやかな虹がかかり、岸辺には蝶々が舞い、鶯の声さえきこえた。&lt;br /&gt;今後、彼の魔法がますます深く徹底して、合唱やオーケストラの中にある量の力を駆使するようになった暁には、精神の世界の神秘の、なお一層ふしぎな光景をみせてもらえるようになるだろう。願わくば、最高の守護神が彼をそこまで強化するように。彼の中にはもう一人の、謙虚という守護神がいるが、これをみても、そうした将来に備えている天の配慮のほどが偲ばれる。彼の同時代人として、私たちは世界への門出に当って彼に敬礼する。世界にでるからには、手傷を負うことも、もとより覚悟しなければならないが、月桂冠や誉れの椰子の樹もまちうけていることだろう。私たちは彼を逞ましい闘争者として歓迎する。&lt;br /&gt;どんな時代にも、親しい精神の間には秘かな結盟がある。到るところ、喜びと祝福を拡げつつ、芸術の真理の光をいよいよ明かならしめるために、この結盟の盟友は、ますます提携を堅くせよ」（２０４－２０６頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;シューマンの文章は、「ロマン派」という言葉を思い出させるように感じられるが、ブラームスを聴いてみれば、悲しみと喜びとをともに歌うという批評は的確に思われ、またもちろん、詩や文学を愛するシューマンだからこそ、夢想的な音楽の数々が彼にはよく似合っていたのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（本書は、古書店で入手しました。きっと普通の書店では見つけにくいと思います。）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-5603513553579962235?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/5603513553579962235'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/5603513553579962235'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2007/03/blog-post_2741.html' title='シューマン『音楽と音楽家』（吉田秀和訳、岩波書店（岩波文庫）、昭和３３年）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-1577398281490009609</id><published>2007-03-11T22:04:00.000+09:00</published><updated>2007-03-11T22:16:55.436+09:00</updated><title type='text'>シューベルト『音楽に寄せて』</title><content type='html'>（読書ではありません。）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;シューベルトの歌曲『音楽に寄せて（An die Musik）』は次のようなもの。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（日本語）「やさしい芸術よ、何と数多くの灰色の時、／人生に容赦なくわずらわされた時に、／私の心に火をつけて温かい愛情を感じさせ、／よりよい別世界に運んでくれたことでしょう。／／あなたの竪琴から流れ出る溜め息が、／あなたの甘く清らかな諧音が、／しばしば私によりよい時の天国を開いてくれました。／やさしい芸術よ、私はそれをあなたに感謝いたします。」&lt;br /&gt;（ドイツ語）「Du holde Kunst, in wieviel grauen Stunden,/Wo mich des Lebens wilder Kreis umstrickt/Hast du mein Herz zu warmer Lieb' entzunden./Hast wich in eine bess're Welt entruckt!//O ft hat ein Seufzer, deiner Harf'entflossen,/Ein suβer,heiliger Akkord von dir,/Den Himmel bess'rer Zeiten mir erschlossen,/Du holde Kunst ich danke dir dafur!」&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-1577398281490009609?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/1577398281490009609'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/1577398281490009609'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2007/03/blog-post_11.html' title='シューベルト『音楽に寄せて』'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-232122882737340879</id><published>2007-03-03T00:33:00.000+09:00</published><updated>2007-03-11T23:08:19.213+09:00</updated><title type='text'>シューベルト『冬の旅』</title><content type='html'>（読書ではありません。）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『冬の旅』についての覚え書き。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;フランツ・シューベルト（Franz Schubert、１７９７－１８２８ ）の歌曲集『冬の旅（Winterreise）』は、 シューベルトと同時代の詩人であるヴィルヘルム・ミュラー（Wilhelm Muler、１７９４－１８２７）の詩に基づくもの。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『冬の旅』の主人公は、愛が実らず孤独のうちに旅に出る青年であり、&lt;br /&gt;第１部は１８２７年２月、第２部は、１８２７年１０月に作曲されたとされている。&lt;br /&gt;シューベルトが死の床にて完成させた作品。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;内容は、第１部　１．おやすみ／２．風見／３．凍った涙／４．氷結／５．菩提樹／６．雪どけの水流／７．川の上で／８．かえりみ／９．鬼火／１０．休息／１１．春の夢／１２．孤独　である。&lt;br /&gt;第２部　１３．郵便馬車／１４．白い頭／１５．鴉／１６．最後の希望／１７．村にて／１８．嵐の朝／１９．幻／２０．道しるべ／２１．宿屋／２２．勇気を！／２３．幻日／２４．ライアー回し　である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;例えば、「第１部　１．おやすみ（Gute Nacht）」の歌詞は次のようなもの。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（日本語）「よそ者としてやってきては、／よそ者のまま去っていく。／５月は僕に好意を寄せて／数々の花束を贈ってくれた。／少女は愛していると言ってくれたし、／その母は結婚のことまで口にした－／ところがいま世の中は陰鬱で、／道は雪に覆われている。／／僕は旅に出るのにも／時を選ぶわけにはいかない。／この暗闇の真っ只中で／自分で道を探さねばならない。／月の落とす影だけが／僕の旅の道連れだ、／そして一面真っ白な中で／獣の通い路を探すのだ。／／どうしてこれ以上とどまれようか。／みんなが僕を追い出すというのに、／主人の家の前で吠える／狂った犬どもには勝手に吠えさせておけ。／愛はさすらいを好むもの、／神様が愛をそう創られたのだ、／一人からまた別の一人へと、／愛するかわいい子よ、おやすみ。／／君が見ている夢を妨げるつもりはない、／君の眠りを乱そうとは思わない、／足音が君に聞こえないように、／そっと、そっと扉を閉めて。／通りがかりに門に書く、／君に「おやすみ」と。／君が起きた時にわかるように、／君を想いながら去ったことが。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（ドイツ語）「Fremd bin ich eingezogen,/Fremd zich'ich wieder aus./Der Mai war mir gewogen/Mit manchem Blumenstrauβ./Das Madchen sprach von Liebe,/Die Mutter gar von Eh'-/Nun ist die Welt so trube,/Der Weg gehult in Schnee.//Ich kann zu meiner Reisen/Nicht wahlen mit der Zeit:/Muβ selbst den Weg mir weisen/In dieser Dunkelheit./Es zieht ein Mondenschatten/Als mein Gefahrte mit,/Und auf den weiβen Matten/Such'ich des Wildes Tritt.//Was soll ich langer weilen,/Daβ man mich trieb'hinaus,/Laβ irre Hunde heulen/Vor ihres Herren Haus./Die Liebe liebt das Wandern,/Gott hat sie so gemacht,/Von einem zu dem andern,/Fein Liebchen,gute Nacht.//Will dich im Traum nicht storen,/War'schad um deine Ruh'/Sollst meinen Tritt nicht horen,/Sacht,sacht,die Ture zu./Schreib'im Vorubergehen/Ans Tor dir gute Nacht,/Damit du mogest sehen,/An dich hab'ich gedacht.」&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-232122882737340879?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/232122882737340879'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/232122882737340879'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2007/03/blog-post.html' title='シューベルト『冬の旅』'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-8814818972147569858</id><published>2007-02-14T01:20:00.000+09:00</published><updated>2007-02-14T01:19:52.051+09:00</updated><title type='text'>アラン『幸福論』（神谷幹夫訳、岩波書店（岩波文庫）、１９９８）</title><content type='html'>アラン（１８６８－１９５１）は、４０年間、リセ（高等中学校）にて哲学教師を務めた人。&lt;br /&gt;本書は、幸福についての断章（Propos sur le bonheur）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;いくつかの言葉たちを書き留めておく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「自分が本当に得たいと思うものを欲すること、これは往々にして、人生の極意でもある」（２１頁）。&lt;br /&gt;「君が射った矢は一本残らず君の上に落ちてくる。自分自身が敵なのだ」（２６頁）。&lt;br /&gt;「人はみな、己が欲するものを得る」（９８頁）。&lt;br /&gt;「幸福はやはりすべて創り出さねばならぬことを忘れてはならない。自分の心の中に財産を持っていない者は退屈によってねらわれ、すぐにとらえられてしまう」（１４０頁）。&lt;br /&gt;「ではいったい、どうすればよいのか。こうするのだ。悲しい思いになってはならない。希望すべきだ。人にほんとうに与えうるのは、自分のもっている希望だけなのだ。自然を当てにし、未来を明るく考え、生命は必ず勝利すると信じなければならない。これは思っているよりもやさしいことだ。自然にかなっていることだから。生きているものはすべて、生命が必ず勝利すると信じている。さもなければ、すぐに死んでしまうであろう」（１９５頁）。&lt;br /&gt;「死者たちは死んではいない。そのことはまったく確実である。われわれが生きているのだから。死者たちは考えている、語っている、行動している。助言し、欲し、承認し、非難することができる。これらはすべて本当である。しかし、それに耳を傾けなければならない。それらはすべて、われわれのうちにある。われわれのうちで確かに生きているのだ」（２０４頁）。&lt;br /&gt;「人間には自分自身以外に敵はほとんどいないものである。最大の敵はつねに自分自身である。判断を誤ったり、むだな心配をしたり、絶望したり、意気阻喪するようなことばを自分に聞かせたりすることによって、最大の敵となるのだ。ある人間に、「あなたの運命はあなた次第だ」と、ただ言うだけでも十分、１０フランに値する教えである」（２２３頁）。&lt;br /&gt;「堂々と生きること、自分自身の心に激しい苦痛を与えないこと、そして伝染によって、大げさな悲劇的なことばによって、他人に苦痛を与えないことである。さらにもっとよいことがある。なぜなら、すべてのことは互いにつながっているのだから。人生の小さな不幸について、それを吹聴したり、見せびらかしたり、誇張したりしないことである。他人に対して、また自分に対しても親切であること。他人が生きるのを支えてあげること、自分が生きて行くのも支えてあげること。これこそ、ほんとうの愛徳（charite）である。親切とはよろこびにほかならない。愛（amour）とはよろこびにほかならない」（２４６頁）。&lt;br /&gt;「最後に、ほんとうに納得するのは、いつも心のいちばん奥にある思いなのだ。だれでもみんな、生きることを求めている。死ぬことではないのだ。だから、生きている人びとをさがしている。つまりぼくの言うのは、自分に「これでよし」と言っている人たち、自分のよろこびを顔に出している人たちのことだ」（３０８頁）。&lt;br /&gt;「幸福になることはまた、他人に対する義務でもあるのだ。これはあまり人の気付いていないことである。人から愛されるのは幸福な人間だけである、とはいみじくも喝破したものだ。しかし、こういう報酬は正当なものであり、受けるに値するものだということが忘れられている。なぜなら、不幸や退屈さや絶望はわれわれみんなが吸っている空気のなかにあるのだから。（中略）だから、愛のなかで絶対幸福になるという誓い以上に強い意味は何もないのだ。愛する人たちの退屈、悲しみ、不幸以上に乗り越えがたいものがあるだろうか。人はだれも、男も女も、幸福は、ぼくの言うのは自分のためにかちとる幸福だが、それはもっとも美しい捧げ物であり、もっとも恵み深いものであることを、たえず考えねばならないであろう」（３１３頁）。&lt;br /&gt;「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」（３１４頁）。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-8814818972147569858?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/8814818972147569858'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/8814818972147569858'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2007/02/blog-post_14.html' title='アラン『幸福論』（神谷幹夫訳、岩波書店（岩波文庫）、１９９８）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-1710911226887430535</id><published>2007-02-13T23:47:00.000+09:00</published><updated>2007-02-14T01:57:47.885+09:00</updated><title type='text'>『とはずがたり』（新潮日本古典集成、福田秀一校注、新潮社、昭和５３年）</title><content type='html'>【あらすじ】&lt;br /&gt;本書は、鎌倉時代の中期、１３世紀後半の宮廷で、後深草院に仕えた二条と呼ばれる女性の自伝ともいうべき作品（３頁参照）。巻１から巻５までに分かれる。巻１から３までは宮廷での生活、４及び５は、尼となった後の諸国遍歴を記したもの。 作者は、２歳で母を失い、４歳のときから後深草院の御所に出入りするようになる。『とはずがたり』は作者が１４歳のときから始まる。そのとき、作者には、心を寄せ合っていた人がいたところ、この頃から後深草院に愛されるようになる。１５歳で父を亡くし、以後、「曙」や「有明」の存在を持ちながら、院に仕える生活を続けていく（巻３までの内容）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【感想】&lt;br /&gt;後朝の文をはじめとして、文（ふみ）の趣深さが常に印象的。&lt;br /&gt;例えば、院が作者をはじめて訪れたとき、彼女はずっと泣き通しだったよう。翌朝、院は「あまた年さすがに慣れにし小夜衣　重ねぬ袖に残る移り香」（長年の間、さすがに慣れ親しんだお前のことゆえ、昨夜は重ねなかった私の袖にも、お前の衣服の匂が移って、恋しいことだ）と送る。そして、どこからききつけたのか、作者と心を寄せ合っていた人から「今よりや思ひ消えなん一方に　煙の末のなびき果てねば」（これからは、私はあなたへの思いに耐え切れずに消え入ってしまうでしょう、もしもあなたが院になびいてしまったならば）との文が届く。これに対し作者は「知られじな思ひ乱れて夕煙　なびきもやらぬ下の心は」（お分かりにならないでしょうね、あなたへの愛にも引かれて思い乱れ、夕風に迷う煙のように、どちらへもなびき切れずに悩んでいる私の本心は）と返答する（１８－１９頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そしてまた、作者の出離への思いはあちこちに現れてくる。&lt;br /&gt;例えば、自分が産んだ子の死を知ったとき。「前後相違の別れ、愛別離苦の悲しみ、ただ身一つにとどまる。幼稚にて母に後れ、盛りにて父を失ひしのみならず、今またかかる思ひの袖の涙、かこつ方なきばかりかは。慣れ行けば、帰る朝は名残を慕ひて又寝の床に涙を流し、待つ宵には更け行く鐘に音を添へて、待ちつけて後はまた世にや聞えんと苦しみ、里に侍る折は君の御面影を恋ひ、かたはらに侍る折はまたよそに積る夜な夜なを恨み、わが身にうとくなりまします事も悲しむ。人間のならひ、苦しくてのみ明け暮るる」（７２－７３頁）。「三従の愁へ逃れざれば、親に従ひて日を重ね、君に仕へても、今日まで憂き世に過ぎつるも心のほかになど思ふより、憂き世を厭ふ心のみ深くなり行く」（７３－７４頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;院と作者の関係は時とともに変容していく。院の御愛情がいつまで続くものかとの不安。離れている時間の方が多くなっていくこと。ふたりの文のやりとり。&lt;br /&gt;院「荒れにける葎の宿の板庇　さすが離れぬ心地こそすれ」（荒れてしまった宿に侘び住まいをしているお前でも、かねてからの仲ゆえにさすがに離れられぬ気がする）に対して、作者「あはれとて訪はるることもいつまでと　思へば悲し庭の蓬生」（私をあわれと思ってお訪ねいただくことも、いつまで続くかと思いますと、この荒れた蓬生の暮らしがしきりに悲しく思われます）と返す（１８６頁）。&lt;br /&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;院「かき絶えてあられやするとこころみに　積る月日をなどか恨みぬ」（お前と離れて生きていけるかと、近年試みにそのように過ごしてみたが、そうして会わずに積もる月日を、お前は何故恨んでこないのか）に対して、作者「かくて世にありと聞かるる身の憂さを　恨みてのみぞ年は経にける」（こうしてまだ世の中に生きていることを知られるわが身のつらさを恨むだけで、私は年月を経てきました。院をお恨み申してはいません）と返す（２２０頁）。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;そして、最終的には、御所を追放され、作者は後に、出離への思いを果たすことになる（巻４及び５）。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-1710911226887430535?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/1710911226887430535'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/1710911226887430535'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2007/02/blog-post.html' title='『とはずがたり』（新潮日本古典集成、福田秀一校注、新潮社、昭和５３年）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-116746875622606993</id><published>2006-12-30T17:52:00.000+09:00</published><updated>2006-12-30T17:52:36.283+09:00</updated><title type='text'>ジャン＝リュック・ゴダール『ゴダール全評論・全発言Ⅱ１９６７－１９８５』（筑摩書房、１９９８）</title><content type='html'>ジャン＝リュックは、いつまでも汲み尽くされることのない泉だ。&lt;br /&gt;そのような思いを確かなものにしてくれる本書は、題名のとおり、ゴダールの発言集。第２巻。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼にとって、『勝手にしやがれ』が第１の処女作であるとすると、『勝手に逃げろ／人生（sauve qui peut(la vie)）』（1980）が第２の処女作である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『勝手に逃げろ／人生（sauve qui peut(la vie)）』（1980）について、彼は次のように述べる。&lt;br /&gt;「労働＝愛＝映画」と題されたインタヴューから、いくつかの箇所を抜粋。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「ぼくが自分の人生はこれからだと感じるのはこれが二度目だ。映画の世界でのぼくの二度目の人生がこれから始まるわけだ・・・というよりはむしろ、三度目の人生が始まるわけだ。一度目は、まだ映画をつくっていなかった時期、映画のまわりをうろついていた時期、さがし求めていた時期だ。そして二度目は、『勝手にしやがれ』から１９６８～７０年までの時期だ。ついで引き潮の時期が来る。あるいは満ち潮の時期が来る・・・どう言えばよいのか・・・そして三度目はこれからだ。まだ一度もなされたことのないなにかをするという印象、二度目の人生を生きるという印象をもったはずだ・・・（中略）ぼくはよく、おまえは過激派だと言われたものだ。でも実際は、両極端を必要とする中庸の人間なんだ。ぼくはこれまでずっと、対照というものを愛してきた。それというのも、対照というのは撮影の次元においてさえ、正しい配分というものを考えることを可能にしてくれるからだ。（中略）中庸に位置をとるというのは、正義を定める場合と同様、両極端を考慮に入れるということだからだ。（中略）ぼくは、その両方が正しいと言っているわけだ・・・ひとはあまりに極端に近づきすぎると、しまいにはさじを投げてしまうことになる。だからぼくは中庸にもどろうとしているわけだ。われわれは初期のころは、トリュフォーとともに[全員が]中庸から出発したものなんだ・・・&lt;br /&gt;　この映画の題名に≪人生≫という言葉が入っているのはそのためだ。『勝手に逃げろ／人生』というのは、自分にできるやり方で人生を救う[あるいは「命拾いをする」]ということだ。そしてこのことは、あの女たちよりもあの男にとっての方が難しいというわけだ。（中略）映画の世界というのは実際は、人生の現像所なんだ。そこではすべてを見ることができる。生産関係も、恨みつらみも、色恋沙汰も、親と子の関係も、労働者と経営者の関係も見ることができる。しかもこれらのすべてが芸術的商品を製造するために機能している。映画の世界というのは、人生を生きながらしかも人生を学ぶことのできる楽園なんだ。ぼくの興味をひくのはこうしたこと、より大きくてしかもより見事なリズムをもった愛の瞬間を見つけるということなんだ。もっとも、そのためにはいくらか年をとりすぎたかもしれない・・・人々は手ごろな映像をもとにして、愛と労働を、家と工場を、休暇と余暇を区別して考えている。でもぼくにとっては、労働と余暇の間に違いはない。ひとつのメロディーのなかに調子の盛りあがる部分と弱まる部分があるようなものなんだ」（２８４－２８６頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「失われた楽園というのは掟のない世界のことだ。そして映画づくりをするというのは、そうした世界をよく知るということ、ひとがそこで笑うことのできる世界をよく知るということだ。（中略）映画をプロデュースするというのは、きわめて人間的で、しかも笑うのによく似たことなんだ。でもそのことは少しも口にされていない。これは秘密にしておくべきことなんだ。ぼくが思うのに、人々がぼくをはねつけたり憎んだりしたのは、こうしたことを口にするからだ。ぼくは実生活のなかではあえてしようとしないようなことも、映画の世界ではしてしまうからだ。ぼくには恐れるものがないからなんだ」（２９４頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「アメリカ人がほかの人々よりも力強いのは、アメリカ人はそれを、終わりと始まりを生きているからだ。かれらはこのうえなく強力な産業を手にしている。そしてその産業は、倒産が最も頻繁におきている産業なんだ。ルノーが明日から靴下のメーカーにかわるなどというのは思いもつかないことだ。それに対してアメリカでは、経営がうまくいかなくなった車のメーカーは、グリンピースとか家具とかをつくろうとする。かれらはつねに活気にあふれていて・・・建設し、破壊し、またはじめからやり直すわけだ」（２９９頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「そう、あれはアンヌ＝マリー・ミエヴィルの言葉だ・・・愛はぼくの次の映画でよりずっと多く描かれるはずだ・・・これは最初の映画であるわけで、だから労働に大いに力点を置いたわけだ。&lt;br /&gt;　それでも、ぼくは愛なしで労働することができたためしがない。（中略）女性との関係においても、その女性がぼくと同じ労働をしているのでなければ、あるいはその女性が自分のいる場所でぼくと等価の量の労働をしていて、その結果ぼくらは共通の問題をかかえていると感じられるのでなければ、その女性といったいなにについて話しあうことができるだろう？われわれはよき愛の関係を結んでいれば、労働のうえでもよき関係を結んでいるものだ。そうでなければ、労働のうえでのよき関係を結ぶことはできない」（３０１頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「映画の４分の３は、女性を憎む男性によってつくられている。それに白人の男性の大部分は、女性を憎んでいる。そしてぼくも、そのようにして映画をつくりはじめたはずだ。でも女性がいなければ、映画づくりをすることはできない。だからぼくは、女たちと商業的関係を結ばなければならなかった。ついで女たちに関心をもつようになった。映画はぼくにとっては、女たちとより健全な関係をもつための手段なんだ。われわれは同じ門をくぐり、共同の仕事をするというわけだ・・・」（３０４－３０５頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;次に、「マリアＭＡＲＩＥのなかには愛ＡＩＭＥＲがある」と題されたインタヴューから抜粋。&lt;br /&gt;テレビについて。&lt;br /&gt;「ぼくに言わせれば、ヨーロッパの産業地帯とアメリカにおける文化的な飢餓というのは、人々のなかに表されることのないばかでかい不安があって、それが人々を、映像と呼ばれているもの－いわばスライドの映像－をチョコレートを食べるかのようにやたらに食べるようかりたてているというところにある。そしてぼくに言わせれば、このことは物質的な飢餓と完全に直接的につながりのあることなんだ。かりにテレビの技術スタッフに≪クレジットタイトルを大いに派手なものにしてくれ≫と言うとすれば、そう、それによってエチオピアで子供がたくさん死ぬことになるんだ。そしてそれは、金をそうしたことにつかうからじゃなく、この二つのことは完全に直接的なつながりのあることだからなんだ。（中略）人々はかつて、テレビは映像の勝利を意味すると信じさせられていた。それにマクルーハンという詐欺師がいて、それに奉仕しさえした。でもテレビでは実際は、次第に写真がふえていき、映像の方は次第に少なくなってきている。テレビには、何も見せようとはせず、ただなにかを再現するだけの小さな断片が数多くあるだけなんだ。かりに君たちが、テレビでアフガニスタンの映像を見ましたと言うとすれば、ぼくはこう言うはずだ。いや、君たちが見たのはダーバンを巻いたある男の映像だ、と。アフガニスタンの映像をつくるためには、少なくとも三者が一体とならなければならない。そしてその三者一体のなかで、テレビという人格がある役割を果たさなければならない。そうでなければ映像は存在しない、子供は生まれないんだ」（６２６－６２７頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　（本書のフランス語版原書にあたりたい場合は、日仏学院のメディアテークへ。ただ、私が以前訪れた当時の話なので、ない場合はご容赦を。）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-116746875622606993?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/116746875622606993'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/116746875622606993'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2006/12/blog-post_116746875622606993.html' title='ジャン＝リュック・ゴダール『ゴダール全評論・全発言Ⅱ１９６７－１９８５』（筑摩書房、１９９８）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-116746871527886581</id><published>2006-12-30T17:51:00.000+09:00</published><updated>2006-12-30T17:51:55.336+09:00</updated><title type='text'>森鷗外「かのやうに」（森林太郎『鷗外全集第１０巻』岩波書店、昭和４７年）より</title><content type='html'>「かのやうに」は、明治４５（１９１２）年１月１日発行の雑誌『中央公論』にて発表されたもの。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;大学にて歴史学を修め、父である子爵の財力のため、卒業後直ちに洋行した秀麿の、帰国後の話。&lt;br /&gt;父と息子の葛藤。&lt;br /&gt;「そこで秀麿は父と自分との間に、狭くて深い谷があるやうに感ずる。それと同時に、父が自分と話をする時、危険な物の這入つてゐる疑のある箱の蓋を、そつと開けて見ようとしては、その手を又引つ込めてしまふやうな態度に出るのを見て、歯痒いやうにも思ひ、又気の毒だから、いたはつて、手を出さずに置かなくてはならないやうにも思ふ。父が箱の蓋を取つて見て、白晝に鬼を見て、毒でもなんでもない物を毒だと思つて怖れるよりは、箱の内容を疑はせて置くのが、まだしもの事かと思ふ」（６４頁）。&lt;br /&gt;「秀麿と父との對話が、ヨオロッパから歸つて、もう１年にもなるのに、兎角對陣している兩軍が、雙方から斥候を出して、その斥候が敵の影を認める度に、遠方から射撃して還るやうに、はかばかしい衝突もせぬ代りに平和に打ち明けることもなくてゐるのは、かう云ふわけである。&lt;br /&gt;　秀麿の銜えている葉巻の白い灰が、大ぶ長くなつて持つてゐたのが、とうとう折れて、運動椅子に倚り掛かつてゐる秀麿のチョツキの上に、細い鱗のやうな破片を留めて、絨毯の上に落ちて碎けた。今のやうに何もせずにゐると、秀麿はいつも内には事業の壓迫と云ふやうな物を受け、外には家庭の空氣の或る緊張を覺えて、不快である」（６５頁）。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-116746871527886581?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/116746871527886581'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/116746871527886581'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2006/12/blog-post_116746871527886581.html' title='森鷗外「かのやうに」（森林太郎『鷗外全集第１０巻』岩波書店、昭和４７年）より'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-116746867130351498</id><published>2006-12-30T17:50:00.000+09:00</published><updated>2006-12-30T17:54:42.796+09:00</updated><title type='text'>アンデルセン『絵のない絵本』訳・山室静、画・岩崎ちひろ（童心社、１９６６）</title><content type='html'>この本は、昔、お世話になった方から贈っていただいたもの。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「月」が話してくれる物語。&lt;br /&gt;最後の第３３夜のお話を紹介。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「「わたしは子どもが大好きなんです。」と、月は言いました。「とりわけ、小さい子ときたら、まったくおもしろいですね。連中がわたしのことなど少しも考えていないときでも、よくわたしは、カーテンや窓わくのすきまから、へやの中をのぞいているのですよ。&lt;br /&gt;　子どもたちが、なんとか、じぶんで服をぬごうとしているのを見るのは、本当に楽しみなものです。まず、裸のまるまるした小さい肩が、服の中からでてきます。それから、するりと腕がぬけでてくるんです。あるいはまた、靴下をぬぐところを見ている。白くひきしまった、かわいい小さな足があらわれる。まったく接吻してやりたいような足ですよ。そこでわたしは、接吻してやるのです。」こう、月は話しました。&lt;br /&gt;「これはどうしても話さずにはいられませんが、じつは今夜わたしは、ある家の窓をのぞきこんだのです。その窓にはカーテンがかかっていませんでしたが、これは道の向こうがわには、だれも住んでいないからなんですね。そのへやの中には、ひと群れの子どもたちが見えました。みんな兄弟姉妹なのです。その中に、ごく小さい女の子がいました。この子は、やっと４歳になったばかりなのですが、それでももうほかの子どもと同じに『われらの父よ』のお祈りができたのです。そこで、母親は、その子のベッドのそばに腰かけて、お祈りを聞いてやります。それからやさしくキスしてやって、その子が眠りに落ちるまで、そばについていてやるのです。といっても、その小さい目はとじられるがはやいか、すぐに眠りに落ちてしまうのでした。今夜は、いちばん年かさのふたりが、すこしやんちゃをしていました。ひとりは長い白い寝巻きを着て、ぴょんぴょん片足ではねているし、もうひとりは、ほかの子たちの服をのこらずからだに巻きつけると、いすの上に立ちあがって、こんなことを言っていました。&lt;br /&gt;『これは活人画だよ。だれだかあててごらん。』３番目と４番目の子は、おもちゃをきちんと引き出しにしまっていました。当然といえば、当然ですがね。しかし母親は、いちばん小さい子のベッドのそばに腰かけて、みんなに言いました。『さあ、小さい妹が「われらの父よ」をとなえるのだから、しずかにしなさい。』わたしはランプ越しにのぞいてみたんですよ。」こう、月は言いました。「その４つになる女の子は、ベッドの中で、白いきれいなシーツの上に寝ていました。そして、小さい両手をあわせ、かわいい顔を大まじめにひきしめると、高い声で『われらの父よ』をとなえたのです。&lt;br /&gt;　そのとき母親が、途中でさえぎりました。『おや、おまえなんて言ったの？きょうもわれらの日々のパンをあたえたまえ、と言ってから、まだなにか言いましたね、おかあさんにはよく聞こえなかったけれど。いったい、なんて言ったの？おかあさんに話してちょうだい。』でも、女の子はなにも言わないで、もじもじして母親も見ているだけでした。『きょうもわれらに日々のパンをあたえたまえのつぎに、おまえ、なんて言ったの？』すると、その小さい女の子は、言ったのですよ。『おかあさん、おこらないでね。あたし、こういってお祈りしたのよ。それから、どうかパンの上には、どっさりバターもつけてね、って。』」 」&lt;br /&gt;（８８－９０頁）。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-116746867130351498?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/116746867130351498'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/116746867130351498'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2006/12/blog-post_30.html' title='アンデルセン『絵のない絵本』訳・山室静、画・岩崎ちひろ（童心社、１９６６）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-116574992971323710</id><published>2006-12-10T20:25:00.000+09:00</published><updated>2006-12-10T20:25:29.716+09:00</updated><title type='text'>金井美恵子『愛の生活』（新潮社、昭和４８年）</title><content type='html'>「愛の生活」は、彼女が１９歳のときの処女作。&lt;br /&gt;このときから既に、表紙のカバーデザインは、姉の金井久美子。&lt;br /&gt;本書には、「愛の生活」のほかに「エオンタ」「自然の子供」という２作品が収録されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「愛の生活」で主人公の「わたし」に送られた手紙の一節。&lt;br /&gt;アニエス・ヴァルダの映画『幸福』についての感想。&lt;br /&gt;「幸福はいつまでたっても幸福のままだ、と言う逆説的な不幸が現われて来る時、突然崩れ去る幸福な日常というイメージでしか、日常性を捉えることの出来ない人は、幸福のモロサを提出してみせたのではなく、事件が起って事態は一変するだろうという風に考える、一種のロマンチストでしょう？オメデタイ。ヴァルダの＜幸福＞を見て、あの美しい色彩の中の消え去らない日常には、ぼくはゾッとした。アントニオーニの＜赤い砂漠＞のおっかなさより、全然スゴイ。なにしろ、それは幸福なんだからな」（２２頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;金井美恵子は、「愛の生活」以外の小説においても、ヴァルダの映画『幸福』に言及することが多いように思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;金井美恵子を読んでいると、発想や考え方が、私とはどこかで根本的に深刻に異なっているから、どうしたら彼女のように物事をとらえることができるようになるのか、考え方ひとつで人生は全然違うものになるから、彼女のようになれたらいいのに、といつも思う。&lt;br /&gt;彼女は本当に、早熟の天才。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-116574992971323710?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/116574992971323710'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/116574992971323710'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2006/12/blog-post_116574992971323710.html' title='金井美恵子『愛の生活』（新潮社、昭和４８年）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-116574989666735229</id><published>2006-12-10T20:24:00.000+09:00</published><updated>2007-02-14T01:59:39.435+09:00</updated><title type='text'>茨木のり子『詩のこころを読む』（岩波書店（岩波ジュニア新書９）、１９７９年）</title><content type='html'>前書き。&lt;br /&gt;「いい詩には、ひとの心を解き放ってくれる力があります。いい詩はまた、生きとし生けるものへの、いとおしみの感情をやさしく誘いだしてもくれます。どこの国でも詩は、その国のことばの花々です。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;本書は、数々の詩（日本語のものが多い）について、テーマごとに紹介していくもの。&lt;br /&gt;岩波ジュニア新書であることもあって、中学や高校のときに教科書で読むような詩も多い。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;例えば。&lt;br /&gt;「君はかわいいと　　　安水稔和&lt;br /&gt;君はかわいいと／どうしていっていけないわけがあろう。／ただ言葉は変にいこじで妬み深く／君とぼくとのなかを／心よからずおもいがちで／ゆききしたがらない。／だから君／ちょっと耳を。／どうだろう／言葉にいっぱい／くわせてやっては。／かわいいという言葉を／君のかわいい口にほおりこみ／君のかわいい唇のうえから／しっかりと封印しよう／ぼくの唇で。／奴めきっと憤然と／君の口のなかで悶死するにちがいない。／言葉の死んだあとに／愛が残るとすれば。／だから君／どうだろう」（４３－４４頁）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;吉野弘の「I was born」はよく覚えている詩のひとつ。&lt;br /&gt;「(前略)それはまるで、目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが　咽喉もとまで　こみあげているように見えるのだ。つめたい　光の粒々だったね。（略）そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは－。／父の話のそれからあとは　もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく　僕の脳裡に灼きついたものがあった。／－ほっそりとした母の　胸の方まで　息苦しくふさいた白い僕の肉体―」（１１頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして、とてもよく知られた詩だけれど、最後に、ひとつの詩を紹介。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「愛　Paul Kleeに　谷川俊太郎&lt;br /&gt;いつまでも／そんなにいつまでも／むすばれているのだどこまでも／そんなにどこまでもむすばれているのだ／弱いもののために／愛し合いながらもたちきられているもの／ひとりで生きているもののために／いつまでも／そんなにいつまでも終わらない歌が要るのだ／天と地をあらそわせぬために／たちきられたものをもとのつながりに戻すため／ひとりの心をひとびとの心に／塹壕を古い村々に／空を無知な鳥たちに／お伽話を小さな子らに／蜜を勤勉な蜂たちに／世界を名づけられぬものにかえすため／どこまでも／そんなにどこまでもむすばれている／まるで自ら終ろうとしているように／まるで自ら全いものになろうとするように／神の設計図のようにどこまでも／そんなにいつまでも完成しようとしている／すべてをむすぶために／たちきられているものはひとつもないように／すべてがひとつの名のもとに生き続けられるように／樹がきこりと／少女が血と／窓が恋と／歌がもうひとつの歌と／あらそうことのないように／生きるのに不要なもののひとつもないように／そんなに豊かに／そんなにいつまでもひろがってゆくイマージュがある／世界に自らを真似させようと／やさしい目差でさし招くイマージュがある」（１５６－１５８頁）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そんなふうにして。&lt;br /&gt;茨木のり子「自分の感受性くらい」で、これからも生きて行こう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-116574989666735229?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/116574989666735229'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/116574989666735229'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2006/12/blog-post_116574989666735229.html' title='茨木のり子『詩のこころを読む』（岩波書店（岩波ジュニア新書９）、１９７９年）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-116574984842871833</id><published>2006-12-10T20:23:00.001+09:00</published><updated>2006-12-10T20:24:08.430+09:00</updated><title type='text'>長田弘『詩は友人を数える方法』（講談社（講談社文芸文庫）、１９９９）</title><content type='html'>本書は、アメリカの詩について注釈を加えたもの。&lt;br /&gt;注釈自体がひとつの詩になっているのは長田弘が詩人だから。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;例えばひとつの詩、ロバート・クリートリー「雨」（抜粋）。&lt;br /&gt;「愛は、きみがぼくを愛するなら、／ぼくのかたわらに横たわる。／愛は、ぼくにとって、／脱けだすことであれ。／／疲労から、愚昧さから、脱けだすことであれ。／無関心への惑溺から、脱けだすことであれ。／うるおされることであれ、雨のように、／穏やかな幸福に。」（８８頁）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もうひとつ、ジョイ・ハージョ「鷲の詩」。&lt;br /&gt;「ねがわくは、あなたたちが心をいっぱいに開くことを。／空に。大地に。太陽に。月に。／一つの完全な声に。それがあなたたちなのだから。／そうすれば、わかるはずだ。見ることの／できないもの、聴くことのできないもの、知ることの／できないものが、まだまだあるのだということが。／着実に育つものの時のあいだにあるものが。／動きの輪である言葉のなかにあるものが。／日曜日の朝、青空のなか、風のなか、／輪をえがいて、神のつくった翼で／私たちの心をきれいにぬぐって、／ソルト・リヴァーを越えて飛ぶ鷲のように。／私たちは、あなたたちを見て、私たち自身を見る。／そして、知るのだ。できるかぎりの注意をはらって、／ありとあらゆるもののなかにひそむ優しさを、／私たちはわがものにしなければならないということを。／息を吸いこむ。すべてが私たちをつくっているから。／息を吐く。すべてに私たちはまもられているから。／なぜなら、この世に生まれて、やがて／動きの本当の輪のなかで、私たちは死ぬのだから。／私たちの心のなかに／朝をつくりだす鷲のように。／ねがわくは、／うるわしさのなかに。／うるわしさのなかに。」（２１１－２１２頁）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-116574984842871833?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/116574984842871833'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/116574984842871833'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2006/12/blog-post_116574984842871833.html' title='長田弘『詩は友人を数える方法』（講談社（講談社文芸文庫）、１９９９）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-116574981385178201</id><published>2006-12-10T20:23:00.000+09:00</published><updated>2006-12-10T20:30:14.156+09:00</updated><title type='text'>原卓也（訳）『プラトーノフ作品集』（岩波書店（岩波文庫）、１９９２）</title><content type='html'>プラトーノフ（１８９９－１９５１）は、ロシアの作家。&lt;br /&gt;本書には、彼の代表作「ジャン」をはじめ、「粘土砂漠（タクイル）」ほか３作が収録されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「ジャン」とは、幸せを求める魂のこと（トルクメンの民間信仰）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;作品「ジャン」からの引用。&lt;br /&gt;「種族の中には、何一つ食べるものがない時に他人の分まで苦しまなくともいいように、また、身近な人間が死ぬ時に泣かなくともすむように、一人ずつ、ばらばらに住んでいる連中もいた。しかし、たまには、家族ぐるみの生活をしている者もいた。そんな場合でも、彼らには上等の食物も、未来への希望も、安定した幸福もないため、お互いへの愛情以外には何一つ持ち合さなかったし、それにまた彼らの心はすっかり弱っていたので、もっとも頼りない、貧しい、永遠の感情である、夫なり妻なりに対する愛情と愛着とを保ち続けるのがやっとの有様だった」（９９－１００頁）。&lt;br /&gt;「彼は耳をすました。自分の身体や骨が可哀そうになった－この骨は、かつて母が貧しい自分の肉体をもとに組み立ててくれたのであり、それも、愛情や欲望や、快楽からではなく、やむにやまれぬ生活の必要からやったのだ。彼は、むなしく浪費されようとしている貧者の最後の財産として、他人の財宝として自己を感じ、おそろしい怒りにかられた」（１８８頁）。&lt;br /&gt;「チャガターエフは微笑した。悲しみや苦悩などは幻影や夢にすぎず、そんなものはアイドゥイムですら、幼い力で一挙に打ちこわし得るのだ、ということを彼は知っていた。人の心やこの世界には、籠にとらえたように世にまだ現れぬ、だれも試したことのない幸福が脈打っているのであり、人間だれしもその力や接近を感じているのだ」（１８５頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;本書におけるどの作品も、中央アジアが舞台かと思わせるもので、見える風景は砂漠。珠玉の作品集といったところ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を、原卓也さんの訳にて読んだ私は、またひとつ彼のお世話になった。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-116574981385178201?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/116574981385178201'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/116574981385178201'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2006/12/blog-post_10.html' title='原卓也（訳）『プラトーノフ作品集』（岩波書店（岩波文庫）、１９９２）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-116574977033029039</id><published>2006-12-10T20:22:00.000+09:00</published><updated>2006-12-10T20:22:50.343+09:00</updated><title type='text'>姜尚中『在日』（講談社、２００４）</title><content type='html'>本屋さんで購入した当初は、痛みが強すぎて、全然読み通すことができなかったけれど、&lt;br /&gt;この間、ふと冷静になれたときがあって、きちんと読むことができたと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「自分は社会を求めているのに、社会はわたしを拒絶している。そんな違和感がわたしを苦しめていた」（９３頁）。&lt;br /&gt;「わたしのメランコリーの根源には、つねにこの分裂の感覚があるように思う。分裂は、暴力によってではなく、「和解」によって癒されなければならない。もっとも、分裂は完全に統合されることはないかもしれない。しかしそれでも「他者」を自分の中に受け入れ、その「異質性」と共存していくことによってしか、不安を解消することはできないのではないか。いや、不安を根本的に解消することなど、土台無理な話かもしれない。解消できなくても、不安の原因をみつめ、それを受け入れ、抱きしめていくことで心は解きほぐされていくのではないか」（６５頁）。&lt;br /&gt;「抱きしめて」ときくと、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』（岩波書店、２００４）を思ってしまう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;指紋押捺拒否をめぐって。支援者たちに囲まれて。このまま突っ張って逮捕を覚悟するか、それともそれを回避するのかというときに。&lt;br /&gt;「重たい沈黙が続いた。そのときだ。土門先生が口を開いたのは。「わたしは、姜さんがどんな決定をしても、それを支持したいですね。もともとわたしたちの運動は、市民の運動です。市民の運動はね、国家権力と対峙するとき、敗北するに決まっているんです。でもそれをただ敗北とだけ受け止める必要はないと思いますよ。負けて、負けて、負け続けて、しかしいつの日か勝てないけれど、負けてもいない、そんなときがくるはずですよ。だから姜さん、今あなたが犠牲をこうむる必要はないんです。だれもそれを姜さんに求めることができないし、求めてはダメなんです。姜さんがこんなふうに悩まなければならない状態を作っているわたしたち日本人にこそ、問題があるのですから」。」（１５４頁）。&lt;br /&gt;支援者の一人であった「土門先生」。こんなふうな人を周囲に呼び寄せることができるのは、姜先生の人となりのためだと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「在日」は、「幾重にも重なり合った大きな政治的暴力の中で生きているのだ、というやるせない気持ちを」（８４頁）抱きながら、「在日」は、「民族的な散在状態（ディアスポラ）に置かれた被差別的少数者（パーリヤ）でもある」（８３頁）というのが、彼が思索の末に辿り着いた、ひとつの到達点なのだと考えると、彼は本当にどこまでも透徹した眼差しを己に向けることのできる人だと思う。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-116574977033029039?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/116574977033029039'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/116574977033029039'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2006/12/blog-post.html' title='姜尚中『在日』（講談社、２００４）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-114325011736804611</id><published>2006-03-25T10:27:00.000+09:00</published><updated>2006-03-25T10:28:37.376+09:00</updated><title type='text'>『ペドロ・コスタ　世界へのまなざし』（せんだいメディアテーク、2005）</title><content type='html'>本書は、４人の映画評論家等による、ペドロ・コスタ論と、ペドロ・コスタ監督作品の解説及びペドロ・コスタによる映画講義録、をまとめたもの。２００５年に開催された「Pedro Costa Film Retrospective in Sendai 2005」におけるプログラムとして作成された。全て英訳つき。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ペドロ・コスタによる映画講義が非常に興味深いので、次のとおり、長くなるが引用する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「今日、映画において扉を開けるといっても、ごくうわべだけのことではないでしょうか。つまり、観客に対して、「映画のなかに入りなさい。気分がよくなるから。とても幸せな時間が過ごせます」と言うことが扉を開けることだと思われている。最終的に、私たちがこうした映画のなかで見ることができるのは、自分自身でしかありません。映画におけるフィクションとは、まさにこのことにほかなりません。観客が自分自身をスクリーン上で見るのです。スクリーン上にフィルムはなく、[登場人物の]仕事もなければ、何かをしている人々もいない。自分自身があるのであって、ハリウッド全体がこうした映画に基盤を置いているのです。今日、観客がいい映画に出会うことはめったにありません。観客は自分自身を見ているのであって、映画を見ているのではないのです。彼らは見たいと望んでいるものを見るのです。映画を見るということが稀にあるのだとすれば、映画がその世界に入ることを見る者に拒むときでしょう。扉があって、観客に「入るな」と言うのです。逆にそこから、観客は映画に入ることができる。観客は、スクリーンの上で自分に抵抗してくるものがあるかどうかを見ることができるのです。（中略）１本の映画を見るということは非常に困難なことなのです。（中略）映画を見ることは、泣いている登場人物と一緒に涙を流すことではありません。これは本当に重要なことです。もしもこのことがわからなければ、何もわかっていないということになる。だからこそ、閉じている扉のことについてお話したのです。私にとって、実際に扉がなくとも、扉のような映画が数本あります。こうした映画は、映画の主人公としてあなた方を映画のなかに入れさせることのない扉のようなものです。あなた方は映画の外側にいるしかない。そこでは、映画とあなた方の間に線がある。２つの異なる実体があるのです。私は、このような分割を行なう映画を幾つか知っています。それは、小津、溝口、成瀬の映画です」（１０４－１０５頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;たとえ「映画」をめぐる状況がどんなに困難であるようにみえても、「扉のような映画」を見ようとして、「扉のような映画」を見つけ出し、映画を見る、という営みをこれからも続けていこうとする私たちを、ペドロ・コスタの言葉は、大いに勇気づけてくれる。ペドロ・コスタによって、私たちは、映画は決して私たちを見放してなどいない、ということを確信することができる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;引き続き、ペドロ・コスタの言葉を引用したい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「私たちが撮っているのは生なのです。私が扉を閉めれば閉めるほど、観客がしたいと望んでいること、満足感を与えることを阻むことになります。観客は自分自身をスクリーン上で見たいと思っていますが、私はそうさせたくないのです。私が扉を閉めるにつれて、私や映画に対して文句を言う観客の数は増えるでしょう。ですが、少なくとも、彼らは不快で戦争状態にあると私は考えたいのです。つまり、世界と同じような状況に置かれるのです。不快であること、気詰まりな思いをすること。つねに快適であれば、逆に問題でしょう。映画や映画史、いかなる音楽であっても、芸術と呼ぶもののなかで我々がしてきたありとあらゆる作業は、私にとって、列車のようなものです。生の傍らを走り続けながら決して交わることのないものなのです。&lt;br /&gt;それは、映画を作るという作業であって、映画を見る作業と比肩しうると思います。映画をよく見ることは、映画を作るのと同じくらい、かなり難しいことなのです」（１０７頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私たちは、「不快」であり「気詰まり」であることによってこそ、生きているから、「扉のような映画」を見ることと、生きていることは同じになる。&lt;br /&gt;あなたと私は似ている、ではなく、あなたと私は違う、あなたのことは全然分からない、というところから人と人は出会える。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして、最後の引用。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「映画と同じですが、出会いというのは必要だと思います。愛というものを信じるには、血の通った肉体を持った実際の人間に会わなければならないのです」（１００頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そんなあなたに、私たちはとても会いたいと思う。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-114325011736804611?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/114325011736804611'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/114325011736804611'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2006/03/2005.html' title='『ペドロ・コスタ　世界へのまなざし』（せんだいメディアテーク、2005）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-113478994866006443</id><published>2005-12-17T12:24:00.000+09:00</published><updated>2005-12-17T12:39:39.733+09:00</updated><title type='text'>アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』（須賀敦子訳、白水社（白水Uブックス）、1993）</title><content type='html'>原書は、Antonio Tabucchi: Notturno indiano,1984,Sellerio Editore.&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;冒頭。「夜熟睡しない人間は多かれ少なかれ罪を犯している。／彼らはなにをするのか。夜を現存させているのだ。／モリス・ブランショ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;物語。「僕」は、インドで「シャヴィエル」という人を探しているが、わずかな手がかりしか掴めないまま、インドのあちこちを放浪することになる。&lt;br /&gt;目に映る風景。「見るという純粋行為のなかには、かならずサディズムがある、と言ったのは誰だったろうか。思い出そうとしたが、名がうかばないままに、この言葉のなかにはなにか真実があるのを僕は感じていた。それで、僕はますます貪欲にあたりを眺めたが、自分本人はどこかわからないが他の場所にいて、見ているのは二つの目にすぎないという意識が冷たく冴えていた。僕は見ていた。女たち、宝石、ターバン、トルコ帽、紗のヴェール、床にひきずる衣服の裾、イヴニング・ドレス、イスラム教徒たち、アメリカの億万長者たち、石油王たち、真っ白な服を着たものを言わない召使たち。」（４５－４６頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人との出会い。ひとりのこどもに出会った時。「たったひとりで、猿を背負っている少年がふしぎだった。インドでは、子供がひとりで動物をつれているのに出会うことはめずらしくなかったが、僕はその子を見て、寝つくまでぬいぐるみをだきしめている、自分にとって大切なある男の子を思い出した。そんな連想が、僕がその子のほうに行かせたのかも知れない。それで僕は少年のそばにすわった。彼はすばらしくきれいな目で、僕を見てにっこりした。そのとき初めて、僕は少年がおぶっている動物と思ったものが、猿ではなく、人間だとわかって慄然とした。」（８８頁－８９頁）。少年がおぶっているのは、彼の兄であり、占い師だという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;物語の最後。一人の女性に、「僕」は、「本を一冊書いている」（１３８頁）と言う。「本のなかで僕はインドで失踪した人間なんだ」（１４２頁）。あるいは「もうひとりの人間が僕を探している。だけど僕は絶対に見つかりたくない。その男がインドに到着したときから、僕はそのことを知っていて、毎日そいつを追跡した、といってもいい」（同頁）。「つまり、あなたを探していた男をあなたは見つけたのね」（１４８頁）と彼女に言われたとき、「僕」は答える。「彼はずっと僕を探していた。だけど、見つけてしまったいまとなっては、もう探す気がなくなった。僕にしても見つかりたくない。なぞなぞみたいで、ごめんなさい。だけど、これが真相だ。どちらもまったくおなじことを考えていて、ただ、たがいを見つめあっているだけ」（同頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;誰が誰を探しているのか。誰が実在し、誰が実在しないのか。「僕」と「彼」はどのような関係なのか。全てが分からないままに、しかし、それをつきとめることはさして重要ではないと思われて物語は終わる。夜と旅の物語である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;著者アントニオ・タブッキは、１９４３年ピサの生まれで、近年ヨーロッパ諸国で注目をあびているイタリアの作家、とのこと（訳者あとがき１５５頁より）。本書の他に、『逆さまゲーム』（１９９８）『供述によるとペレイラは』（２０００）が、白水Uブックスとして、須賀敦子により訳されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://www.hakusuisha.co.jp/catalogs/ubnovel.html"&gt;白水Ｕブックス・海外文学&lt;/a&gt;（再掲）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-113478994866006443?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113478994866006443'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113478994866006443'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2005/12/u1993.html' title='アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』（須賀敦子訳、白水社（白水Uブックス）、1993）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-113478984681972155</id><published>2005-12-17T12:23:00.000+09:00</published><updated>2005-12-17T12:31:45.243+09:00</updated><title type='text'>ジョルジュ・バタイユ『青空』（天沢退二郎訳、晶文社、1968）</title><content type='html'>原書は、Georges Bataille:LE BLEU DU CIEL,1957,Jean-Jacques Pauvert,Paris.&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;まえがき。「わずかな多少の差はあっても、人は誰しも、人生の多様な真実をあばき出してくれる物語や小説に愛着をもつものである。ときには忘我の状態で読まれるこの種の物語だけが、人を運命の前にひきすえる」（８頁）。この「命題に対応するいく冊かの書物の題名」（同頁）として、『嵐が丘』『審判』『失われた時を求めて』『赤と黒』『ユジェニー・ド・フランヴァル』『死刑宣告』『サラジーヌ』『白痴』が挙げられている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;物語。黒々としている。この黒さはドストエフスキーと共通のものであると思う。&lt;br /&gt;　「卑しい苦しみからはじまって、いかなるものにもめげずに陰険に生きつづける傲慢さが、またふくれあがってくる。最初はゆっくりと。それから、とつぜん爆発してぼくの目を眩ませ、あらゆる理性にさからって強まる幸福感のなかにぼくをのみこんでしまう」（２７頁）。&lt;br /&gt;　「ぼくは誰もが踏みつけていくぼろ屑だった。ぼく自身の意地の悪さが運命の意地悪の上に重なった。不幸を頭上に引き寄せて、その下で死にかかっていた。ひとりぼっちで、臆病者だった。ついさっき、ぼくはエディットに知らせることを禁じた。今、もう二度とエディットを胸に抱きしめることはできないとはっきりわかると、身体の中に黒い穴があいたような気がした。優しさの限りをこめて、ぼくの幼い子どもたちの名を呼んだ。あの子たちは来ないだろう」（９２頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;まえがきにあるように、本書は、著者の「苦悶」に由来する「異常性」を基盤としているため（９頁）、内容自体は、赤裸々に過ぎるという印象が拭えない。しかし、著者自身、１９３５年に書いたこの書物を出版するつもりは全くなかったところを、友人たちのすすめによって、１９５７年に出版したという経緯がある。また、１９３５年という年は、スペイン内戦や第２次世界大戦の前夜であり、本書は時代の空気と密接なつながりを持って書かれている。このように考えてくると、本書の読み方も自ずと変わってくると思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（古書店で入手した。もしかすると、普通の書店では見つけにくい。）&lt;br /&gt;（本書は、ゴダールの映画『愛の世紀』（２０００）においても言及があった。）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-113478984681972155?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113478984681972155'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113478984681972155'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2005/12/1968.html' title='ジョルジュ・バタイユ『青空』（天沢退二郎訳、晶文社、1968）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-113478976503745433</id><published>2005-12-17T12:20:00.000+09:00</published><updated>2005-12-17T12:29:30.303+09:00</updated><title type='text'>ジョルジュ・サンド『愛の妖精』（宮崎嶺雄訳、岩波書店（岩波文庫）、1936）</title><content type='html'>本書は、George Sand:Le Petite Fadetteの翻訳。&lt;br /&gt;    田園小説と呼ばれる４作（『魔の沼』『捨て子フランソワ』『愛の妖精』『笛師のむれ』）のうち３作目である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;    １８５１年付けとなっているはしがきからの抜粋。「人間が誤解しあい憎みあうことから世の不幸が生じているような時代においては、芸術家の使命は、柔和や信頼や友情を顕揚して、清浄な風習や、優しい感情や、昔ながらの心の正しさなどが、まだこの世のものであり、もしくはあり得るということを、或は心をすさませ或は力をおとしている人々に思い出させてやることである。現在の不幸に直接言及したり、醗酵しつつある激情に呼びかけたりすることは、決して救済への道ではない。むしろ、一つの甘い歌、鄙びた鳥笛の一声、幼な児たちを怯えも苦しみもなく寝つかせる一つの物語の方が、小説の色づけによって一層強烈に陰鬱になった、現在の不幸を見せつけるにまさるのである」（６頁）。&lt;br /&gt;フランスは、１８４８年２月の革命によって再び共和国となったものの、同年６月にパリ市民の大反乱が起き、激しい市街戦が行われた。サンドは、このような「外界の嵐に魂の底まで掻き乱されて」（５頁）悲しみのただ中にあり、孤独な生活に閉じこもっていたが、友人の熱心な説得によって本書を執筆したという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;    物語。物語自体は、どこまでも柔らかくて温かい印象。コッス村のバルボーさんに双子が生まれた。シルヴィネとランドリー。弟である方のランドリーは、ある日ファデ－婆さんの孫娘であるファデットに出会う。ファデットは、少し魔法が使えるらしいとの噂。この村では、ファデー、ファルファデーという言葉には、なかなか人なつっこいくせに少しいたずら好きな子鬼の意味があり、また、ファードという妖精の言い伝えもある。ファデットというのは単に名字だが、そんな意味や言い伝えのために、彼女は不思議な魅力のある女の子として登場する。&lt;br /&gt;    その後の展開は、読んでからのお楽しみ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-113478976503745433?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113478976503745433'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113478976503745433'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2005/12/1936.html' title='ジョルジュ・サンド『愛の妖精』（宮崎嶺雄訳、岩波書店（岩波文庫）、1936）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-113345232555109947</id><published>2005-12-02T00:51:00.000+09:00</published><updated>2005-12-02T00:52:05.553+09:00</updated><title type='text'>モンテスキュー『法の精神（上）』（岩波書店（岩波文庫）、1989）</title><content type='html'>　野田良之・稲本洋之助・上原行雄・田中治男・三辺博之・横田地弘、訳。（上）（中）（下）巻のうちの（上）。&lt;br /&gt;　本書は、政治学史の古典である。&lt;br /&gt;　さしあたり、興味深く思った２点につき、引用したい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ひとつは、民主政における平等について。&lt;br /&gt;モンテスキューによれば、政体には３つある。共和政体、君主政体、専制政体である（５１頁）。「共和政において、人民が全体として最高権力をもつとき」（５２頁）それは民主政であり、「最高権力が人民の一部の手中にあるとき」（同頁）は貴族政であるという。&lt;br /&gt;政体の「本性とは政体を政体たらしめているものであり、原理とはそれを活動させるもの」（７０頁）であり、「一方は政体の固有の構造であり、他方は政体を動かす人間の情念である」（同頁）ところ、「各政体の腐敗は、ほとんど常にその原理の腐敗に始まる」（２２３頁）。&lt;br /&gt;例えば、民主政の原理の腐敗について。ここで、民主政における平等の話になる。&lt;br /&gt;「民主政の原理は、人が平等の精神を失うときのみならず、極端な平等の精神をもち、各人が自分に命令するものとして選んだ人たちと平等でありたいと欲するときに腐敗する」（同頁）。「天が地から遠くへだたっていると同じくらい、真の平等の精神は極端な平等の精神から遠くへだたっている。前者の精神は、すべての者が命令するようにしたり、あるいは誰も命令されないようにすることにあるのではなく、すべての者が自分と同等の人々に服従かつ命令することにある。それは主人を全くもたないことを求めるのではなく、自分と同等の人々しか主人としてもたないことを求めるのである。／自然状態においては、人間は確かに平等の中に生れるが、そこにとどまることはできないであろう。社会が彼らに平等を失わさせ、彼らは法律によってしか再び平等にはならない」（２２７頁）。&lt;br /&gt;「服従」「主人」という、あまり聞きなれない日本語としての訳語にとらわれず、想像力を働かせれば、気付かされることの多い箇所であると思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もうひとつは、政治的自由について。&lt;br /&gt;モンテスキューは、国制との関係において政治的自由を形成する法律と、公民との関係において政治的自由を形成する法律とを区別する（２８７頁）。&lt;br /&gt;まず、自由とはなにかということについて。&lt;br /&gt;「民主政の国々においては、確かに人民が望むことを行っているようにみえる。しかし、政治的自由とは人が望むことを行うことではない。国家、すなわち、法律が存在する社会においては、自由とは人が望むべきことをなしうること、そして、望むべきでないことをなすべく強制されないことにのみ存しうる。（中略）自由とは法律の許すすべてをなす権利である。そして、ある公民が法律の禁ずることをなしうるとすれば、他の公民も同じようにこの権能をもつであろうから、彼にはもはや自由はないであろう」（２８８－２８９頁）。&lt;br /&gt;そして、国制における政治的自由について。&lt;br /&gt;「各国家には三種の権力、つまり、立法権力（la puissance législative）、万民法に属する事項の執行権力および公民法に属する事項の執行権力がある。／第一の権力によって、君公または役人は一時的もしくは永続的に法律を定め、また、すでに作られている法律を修正もしくは廃止する。第二の権力によって、彼は講和または戦争をし、外交使節を派遣または接受し、安全を確立し、侵略を予防する。第三の権力によって、彼は犯罪を罰し、あるいは諸個人間の紛争を裁く。この最後の権力を人は裁判権力（la puissance de juger）と呼び、他の執行権力を単に国家の執行権力（la puissance exécutrice）と呼ぶであろう」（２９１頁）。国制における政治的自由は、この３つの権力の一定の配分によって形成されるという（３４２頁）。&lt;br /&gt;これに対して、公民における政治的自由は、「安全にあり、あるいは人が自己の安全についてもつ確信にある」（３４２頁）。別の箇所で、「各人が自己の安全についてもつ確信から生ずる精神の静穏である」（２９１頁）とも述べている。「この安全を損なうもので、公的なまたは私的な訴追以上のものは決してない。したがって、公民の自由は主として刑事の法律の良否にかかっている」（３４１頁）という。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;最後に。&lt;br /&gt;モンテスキューは、本書、序文の中で、「認めていただけるかどうかわからないが、私には一つお願いがある。それは、少し読んだだけで二十年の仕事を判断しないこと、片言隻句ではなく、この本の全体を是認するなり否認するなりすることである。著者の意図を探ろうとすれば、それはひとえにその著作の意図の中にしか見出しえない」（３３頁）と述べている。&lt;br /&gt;本来であれば、（上）巻のみならず、（中）（下）巻を全て読み終えてから、書くのが望ましいところ、実行できていない点をお詫びする。なお、本書の原語はフランス語であり、その一部しかまだ読んだことがないが、モンテスキューの文体は他にないほどに美しく整えられたものであり理解しやすい。原書もおすすめである。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-113345232555109947?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113345232555109947'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113345232555109947'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2005/12/1989.html' title='モンテスキュー『法の精神（上）』（岩波書店（岩波文庫）、1989）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-113345228418021175</id><published>2005-12-01T00:51:00.000+09:00</published><updated>2005-12-04T03:22:04.450+09:00</updated><title type='text'>高峰秀子『わたしの渡世日記（上）（下）』（朝日新聞社、1976）</title><content type='html'>著者は、大正１３（１９２４）年生まれ。６歳の時に子役として映画界でデビューして以来、多数の映画に出演。文筆にも親しみ、本書をはじめとして多数の著書がある。&lt;br /&gt;私が成瀬巳喜男の映画をよく見るのは、高峰秀子が主演であることと関係していて、先日ふと立ち寄った古書店で、同『私の梅原龍三郎』（文春文庫、１９９７）を見つけたことがきっかけとなり、彼女が書くものをもっと読んでみたいと思い入手したのが本書である。思えば映画監督のレオス・カラックスも彼女のファンで、来日した時に彼女に会えてとても感動していたという話をどこかで耳にし、彼はいい趣味をしている、映画には国境のようなものがない気がして嬉しいといつも思う。&lt;br /&gt;さて、本書は、タイトル通り、彼女が５０歳の頃にその半生について書き綴ったものである。映画女優、というと富と栄華が思い浮かぶが、彼女の場合、終始お金には縁のない生活を送っていた。というのも、養母をはじめとして、親兄弟親戚の生活を金銭面で支えなくてはいけない状況に置かれがちだったようで、「十二歳の私に、九人の生活がのしかかっていた」（前掲書（上）、１３１頁）とある。それでも、彼女のことを可愛がり愛情を注いだ人々との思い出が数多く綴られ、またそれに対して彼女からのきめ細かな謝意が表されており、本書は、生活の重々しさに足をすくわれることなく、颯爽として一本気な彼女らしい仕上がりとなっていると思う。&lt;br /&gt;大分長くなるが、彼女が成瀬巳喜男のことを語っている箇所を引用して終わりたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「成瀬巳喜男は、寡黙というよりも、イジの悪いほど喋らない人である。仕事中も、カラリと陽性の木下恵介とは違って、良いんだか悪いんだか、面白いんだか面白くないんだか、サッパリ分からない人である。たまに発する短い言葉を頼りに、その裏の裏の裏まで想像し、理解し、行動しなければならない「シンドイ人」である。私は彼から演技らしい演技をつけられたおぼえがない。彼が何も言わないから、こっちも何も言わずに演技をし、何も言わないうちにＯＫになったらしいから、こっちも何も言わずに次ぎのカットの演技をする、という風で、頼りないことおびただしい。しかし十数本もの映画に私を使ってくれたのだから、少しは気に入ってくれていたのだろう・・・。ある日、スタッフと一緒に食事をしているときに、私は言った。&lt;br /&gt;「成瀬先生が松竹蒲田にいらしたとき、私も子役に使って頂きましたね、私、どんな子供だった？可愛かった？」&lt;br /&gt;「こましゃくれて、イヤな子だった、ウフフ」&lt;br /&gt;「ギャフン」である。私はこのときから彼を「イジワルジイサン」と呼ぶことにした。イジワルジイサンは、スタッフに対しても大変イジワルである。彼は翌日の撮影予定のコンティニュイティを誰にも見せない。コンテが分かれば明日の準備がしやすくてスタッフが助かるのである。（中略）&lt;br /&gt;そういうイジワルジイサンだから、スタッフは敬愛しながらも、気易く話しかけたり、冗談を飛ばす勇気がない。（中略）&lt;br /&gt;成瀬巳喜男は、なにごとにも控え目で、自分が前に出ることを嫌った。彼の暖かさと鋭さを合わせ持った眼は、常時市井の下積みといわれる人々に向けられ、映画の題材も好んで庶民の哀歓、人生の機微を描くことに徹していた。&lt;br /&gt;私の出演作品もまた「秀子の車掌さん」をはじめ「稲妻」「妻の心」「流れる」「あらくれ」「女が階段を上る時」「放浪記」「乱れる」そして「浮雲」のことごとくが、下町を舞台として庶民の生きざまを描いている。彼の映像に現れるのは、ゴミゴミとした風景であり、安普請の長屋であり、ラーメンやお茶漬けや、風采の上がらない男女である。インサート・カットには必ずチンドン屋が登場する。それが成瀬巳喜男の世界であった」（前掲書（下）、３２２－３２５頁）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（メモ：本書は、三鷹にあるブックステーション武蔵野という古書店で入手してきましたが、古書店でなくてもきっと見つかるはずです。）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-113345228418021175?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113345228418021175'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113345228418021175'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2005/12/1976.html' title='高峰秀子『わたしの渡世日記（上）（下）』（朝日新聞社、1976）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-113345213573848953</id><published>2005-11-27T00:48:00.000+09:00</published><updated>2005-12-04T03:21:40.380+09:00</updated><title type='text'>論文集</title><content type='html'>国立国会図書館（NDL）トップページ→「日本の国会・世界の議会」→「調査と情報-issue brief-」と進むと辿り着ける、「調査と情報」という論文集は、脚注がしっかり施されていることも含めて、社会科学関係の論文として、よくまとめられた優れたものであると思います。興味のある分野については一読してみるのもよいのではないでしょうか。（当サイトにリンクする場合はご一報ください、と断り書きがあったように記憶しているので、申し訳ありませんがNDLにリンクはつけていません。）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-113345213573848953?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113345213573848953'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113345213573848953'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2005/11/blog-post.html' title='論文集'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-113345205913868552</id><published>2005-11-21T00:47:00.000+09:00</published><updated>2005-12-04T03:19:45.603+09:00</updated><title type='text'>酒井駒子『金曜日の砂糖ちゃん』（偕成社（Luna Park Books））　</title><content type='html'>絵本。彼女が描く絵の中で、黒が背景色となっているものが一番よいと私は思う。彼女自身、黒が基調となる暗めの絵は、最初はあまり描いてはいけないのではと思っていたけれど、必ずしもそうではなく、人に受け容れられることがあってよかった、という意味のことを、どこかで言っていたのを読んだことがある。この絵本は、黒が基調のものばかり、３つの物語が収められていて、書名と同題のものの他に、「草のオルガン」、「夜と夜のあいだに」がある。「草のオルガン」は、男の子が主人公で、「今日　ぼくは／さみしいことが／あったから」「つまらないことが／あったから」「知らない道を／とおって　帰る」と、始まっていく物語。一番のお気に入り。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-113345205913868552?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113345205913868552'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113345205913868552'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2005/11/luna-park-books.html' title='酒井駒子『金曜日の砂糖ちゃん』（偕成社（Luna Park Books））　'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-113345202184891199</id><published>2005-10-05T00:46:00.000+09:00</published><updated>2005-12-04T03:18:59.780+09:00</updated><title type='text'>杉村隆『がんよ驕るなかれ』（岩波書店（岩波現代文庫）、２０００）</title><content type='html'>著者は、国立がんセンターの総長を務めた人。本書は、著者が、平成５年１１月１日から３０日まで、日本経済新聞に掲載した「私の履歴書」と、「がんにならないために」という章とから成る。がんの知識を求めず単純に読み物として読む場合は、「私の履歴書」だけで十分である。文章に透明感があり清々しい。例えば父について。「父は漢籍に親しみ文筆を日課とする悠々自適の生活を送る。文人墨客というか遊び人というか、世俗に恋々とせず、恬淡と生きた」（前掲書、３頁）。「姉四人に私、父は無収入。それでも一家の暮らしはそれなりに充実していたと思う。天衣無縫ともいえるおおらかな母、薫の存在が大きかった」（同、４頁）。「父は若松町の家屋敷を売り払い、転居を繰り返していた。母や姉の弾くピアノの音色はついてまわったが、安定とはほど遠い暮らしだったようだ。人生を具体的に設計して産をなし、段階ごとに一つ一つ実現していくこという生き方が、父にはできなかった。彼は「流れる水のように生きる」ことを目指していたのではないかと思う」（同、４－５頁）。&lt;br /&gt;引用してみてから気付いた。このような「父」の生き方自体がまた清々しい。&lt;br /&gt;日経の「私の履歴書」は、愛読に値する、と折に触れてよく思う。最近は、ルノー社長だっただろうか。&lt;br /&gt;医学への志向は今でも私を強く規定していると時々思う。がんやがんセンターをめぐる個人的体験、については手が震えるから書くことはしない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-113345202184891199?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113345202184891199'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113345202184891199'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2005/10/blog-post_05.html' title='杉村隆『がんよ驕るなかれ』（岩波書店（岩波現代文庫）、２０００）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-113344995362837781</id><published>2005-10-02T00:11:00.000+09:00</published><updated>2005-12-04T03:17:37.416+09:00</updated><title type='text'>石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』（講談社（講談社文庫）、１９７２）</title><content type='html'>著者は、自分が苦しんでいる、ことと、ひとが苦しんでいる、ことが一緒になってしまうところがあって、そのことのために彼女の作品はいつもこの上なく瑞々しい抒情詩となる。したがって、世に評されているように、本書は、水俣病問題を告発する、という性格も持ち合わせてはいるが、現実の不確かさと虚構の確かさを思わせるような、ひとつの文学作品である。彼女自身は、「白状すればこの作品は、誰よりも自分自身に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの」（前掲書、３０４頁）とあとがきで述べている。&lt;br /&gt;彼女が水俣市立病院にはじめて水俣病患者を見舞った時の記述は次のようなものである。&lt;br /&gt;「安らかにねむって下さい、などという言葉は、しばしば、生者たちの欺瞞のために使われる。／このとき釜鶴松の死につつあったまなざしは、まさに魂魄この世にとどまり、決して安らかに往生しきれぬまなざしであったのである。／そのときまでわたくしは水俣川の下流のほとりに住みついているただの貧しい一主婦であり、安南、ジャワや唐、天竺をおもう詩を天にむけてつぶやき、同じ天にむけて泡を吹いてあそぶちいさなちいさな蟹たちを相手に、不知火海の干潟を眺め暮らしていれば、いささか気が重いが、この国の女性年齢に従い七、八十年の生涯を終わることができるであろうと考えていた。／（中略）釜鶴松のかなしげな山羊のような、魚のような瞳と流木じみた姿態と、決して往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ」（同書、１２５頁－１２６頁）。&lt;br /&gt;水俣病に対して、公権力の行使に携わる人々が、どのように応じたのか、議論のあるところだが、裁判所における判決のひとつが、判決らしく簡素な記述ではあるが、彼女の著作に次のように言及していたことを、書き留めて終わりたい。&lt;br /&gt;「八年前「苦海浄土」を発表した原審証人石牟礼道子の新著「椿の海の記」は、不知火海が苦海になる以前の海、海辺の人々、光に満ちた自然、山の神、土俗の神々と幼女時代の作者との交流、交歓が描かれ、自然の匂がきわめて細密に書き綴られている」（熊本水俣病補償請求関連傷害事件控訴審判決（東京高裁昭和５０（う）四六〇号）、『水俣病裁判全史 第一巻』（日本評論社、１９９８）所収、５６４頁）。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-113344995362837781?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113344995362837781'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113344995362837781'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2005/10/blog-post.html' title='石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』（講談社（講談社文庫）、１９７２）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-113345210231873431</id><published>2005-09-02T00:47:00.000+09:00</published><updated>2005-12-04T03:20:35.800+09:00</updated><title type='text'>おすすめサイト</title><content type='html'>いつかこのブログのどこかで、おすすめです、と主張しようと思っていたサイトが&lt;a href="http://www.utrecht.jp/"&gt;ユトレヒト&lt;/a&gt;。（きっかけがないまま時がたつ一方なので、いまここで単独で書くことにする。）ユトレヒトは、「古本、新刊の区別 なく、今おもしろい本を紹介する本屋」（サイト内「ユトレヒトの歩き方」より引用）とのこと。このサイトを見ていると、全然、知らない、本たちが所狭しと並んでいて、知らない世界の眩しさに、いつも頭がくらくらする。絵本が豊富であるように思うが、もちろんそれだけではないはずで、ではどのようなものが？と問われても、うまく答えられない、のは単純に私の知識不足による。サイト作成者の文章には、非の打ち所がないほどの安定感があり、日本語以外の様々な原語に通じていることも窺われる。特筆すべきは「おくやみ」というカテゴリーがあること。いつか、このサイトを見ながら、本にまつわる喜びを分かち合える時がくればいいと心から思う。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-113345210231873431?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113345210231873431'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113345210231873431'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2005/09/blog-post.html' title='おすすめサイト'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-113345223793089977</id><published>2005-09-01T00:49:00.000+09:00</published><updated>2005-12-04T03:21:11.993+09:00</updated><title type='text'>古書店から</title><content type='html'>　山崎まどか『ブック・イン・ピンク おしゃれ古本ガイド』（２００４、晶文社）は、女の子向けの古書を紹介する本で、読むというより、ぱらぱらめくって見てみる、という表現の方が合う本だが、「あとがきにかえて」を見ていたら、昔よく立ち寄っていた古書店が言及されていたものだから、つい懐かしくなって、というより古書がほしくなって、その古書店を久しぶりに訪れてみたのだった。&lt;br /&gt;　収穫は大別してふたつあった。ひとつは、『&lt;a href="http://www.msz.co.jp/titles/08000_09999/ISBN4-622-08186-5.html"&gt;神谷美恵子の世界&lt;/a&gt;』（みすず書房編集部編、２００４、みすず書房）を見つけたこと。みすず書房は、今まで出版してきた神谷美恵子著作集を編集し直して、新しく&lt;a href="http://www.msz.co.jp/top/kamiya/index.html"&gt;神谷美恵子コレクション&lt;/a&gt;を出版したが、その際に同時刊行されたという本である。今まで折に触れて読んできたものの、彼女の奥ゆかしい物言いから推し量って行間を読むことは私には難業であり、十分に理解できたとはとてもいえない著作集だが、彼女の人となりに、いつになっても惹かれ続けていることは確かで、その意味では、本書は貴重なものである。&lt;br /&gt;　幼い頃をヨーロッパで過ごし、フランス語を母語のようにしていたため、政府間交渉の通訳として重宝されたことや、二十歳の頃、病床にあった時は、ギリシャ語を独学しプラトンや新約聖書を読んでいたこと、その後、医学を修得した際には精神医学を専攻し、ハンセン病療養所に勤めたこと、ミシェル・フーコーや、ヴァージニア・ウルフの病跡を研究する過程でウルフの夫と親交があったこと。彼女の経歴をいくらかは知っていたはずなのに、改めて驚きがある。なかなかない人生だと思う。&lt;br /&gt;　彼女を知ったのはいつだったか、その著作より先に、彼女が訳した、マルクス・アウレリウス『自省録』（神谷美恵子訳、１９５６、岩波書店）を読んだことは確かで、ハンセン病療養所で尽力したという医師が、どうして５賢帝と名高いローマ皇帝の著作を訳すことになったのか、当時は不可解に思い、今では感謝の念を覚える。彼女が訳さなければ、他の誰も訳さないまま、岩波文庫で読むことはできなかったのではないかと思うから。使命感と克己心の強い彼女にとっては特別に思い入れのある著作だったのかもしれないと想像してしまう。時間に猶予があれば『アンティゴネー』も訳して岩波書店から出版する予定だったというから、彼女がどんなふうに訳すか読んでみたかった。先日、&lt;a href="http://www.msz.co.jp/titles/04000_05999/ISBN4-622-04835-3.html"&gt;『病むことについて』&lt;/a&gt;（ヴァージニア・ウルフ著、川本静子編訳、２００２、みすず書房）にふと目をとめたことを思い出し、ウルフの病跡研究が、中途であったことも残念に思える。病は文学のテーマにされづらい、それは面白くないからで、もし面白いなら、世界の文学はインフルエンザの話題で持ち切りだろう、とウルフは前掲書で述べていて、確かに身体の病が、苦痛を共有し難いために人の共感を呼びにくくテーマとして面白くないだろうことには大いに賛同するものの、精神の病は逆に過剰に文学のテーマになりがちのように思われ、ただ私がそう思ってしまうのは、精神医学の発展と関わりがあるのかもしれないし、精神医学に関する出版物がみすず書房に多いからかもしれない。&lt;br /&gt;　もうひとつの収穫は、&lt;a href="http://www.hakusuisha.co.jp/catalogs/ubnovel.html"&gt;白水Ｕブックス・海外文学&lt;/a&gt;を見つけたこと。これは、白水社の新書サイズ廉価版シリーズ。「海外小説の誘惑」というサブタイトルは私にはぴったりで、もともと、外国文学を読みたいという思いを強く持っていても、原語を理解するための言語能力が不十分であるから、原語版にはなかなか手が出ないで、自分に甘いまま妥協して翻訳版を読もうと逃げてはみるものの、翻訳は翻訳で、訳者に全てがかかっていると言っても全然大袈裟ではない、と思い込んでいて、翻訳、というか、よく理解することのできない日本語の山、を読む気にも決してなれず、訳者を信頼することが私にとってはまず必要であり、と、逃げている割に贅沢な望みを持ち合わせてしまっているわけで、その意味では、柴田元幸を読めばよいのだ、とこの間不意に思いついて、『最後の物たちの国で』（ポール・オースター著、柴田元幸訳、１９９９、白水社）を、普通に近所の本屋で買って読んだことがあるのだった。今回、古書店で見つけたのは、須賀敦子が訳したもの３冊で、アントニオ・タブッキ著『供述によるとペレイラは・・・』（２０００）『逆さまゲーム』（１９９８）『インド夜想曲』（１９９３）である。タブッキのことはこれから知る予定で、とにかくぱらぱら見る限りどの本もとても面白そう、しかし、まだ６分の１くらいしか読んでいないので、読み進めることがとても楽しみであることを記して、終わりたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://www.msz.co.jp/index.html"&gt;みすず書房&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://www.hakusuisha.co.jp/"&gt;白水社&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-113345223793089977?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113345223793089977'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/113345223793089977'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2005/09/blog-post_01.html' title='古書店から'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-19486128.post-116645308775148082</id><published>2005-06-18T23:43:00.000+09:00</published><updated>2006-12-27T23:53:40.396+09:00</updated><title type='text'>『英語ビジネス交渉の基礎知識』（ジャパンタイムズ、２００６）</title><content type='html'>&lt;div align="left"&gt;・ ３２－５８頁&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;Vocabulary for Negotiation &lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;A&amp;P(advertising and promotion)/acceleration clause/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;accounts payable（支払勘定）/accounts receivable（受取勘定）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;accredited investor/accumulated/accumulation/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;acquisition（買収）/acronym e.g. AKA (as know as)/ &lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;DBA(doing business as)/TBA(to be announced)/actual/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;accurate/affiliate/all-or-none bid/amendment（修正条項）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;amortization（償却）/anonymous（匿名の）/alias（別名）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;annual meeting/annual percentage rate(APR)/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;appraisal（報告書）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;arbitration（仲裁）/asking price（提示価格）/assumptions/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;assets（資産）/liabilities（負債）/attorney-in-law/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;attorney-at-law/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;audit/authority issue/authorized shares（株の発行限度数）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;automatic renewal/&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;bad debt（不良債権）/balance sheet/balloon payment/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;basis point/beneficiary（受取人）/best interest/bias/bill（証券）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;binding/bilateral（双務的な）/blanket mortgage/blanket order/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;blind pool/bona-fide/breach（不履行）/breakdown（内訳）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;break-even point（損益分岐点）/business days/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;buyout（買い占め）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;bylaws（付属定款）/byproduct（副産物）/&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;C.&amp;amp;F.(Cost and Freight)/CEO/COO/CFO/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;C.I.F.(Cost ,Insurance ,and Freight)/C.O.D.(Cash on Delivery)/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;C.P.A.(Certified Public Accountant)/capital/capital expenditure/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;capital gain (or less)/capitalization rate/cash flow/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;cash-on-cash return/ceiling/certified mail/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;chamber of commerce（商工会議所）/chapter（総会）/civil/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;clause（条項）/closely held corporation/collateral（担保物件）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;collateral damage/collateralization/commercial paper（商業手形）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;commercial property（商業用不動産）/comparable/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;compensation（賠償）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;compliance transparency/concession（譲歩）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;confidentiality（機密）&lt;br /&gt;confidential agreement/confidentiality agreement/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;non-disclosure agreement(NDA)/consecutive（連続した）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;consensus/consignment（委託販売）/consolidate/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;consolidated statement（連結決算）/consumer market/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;contingency(ies)（将来起こりうる偶発的な出来事）/contract manufacturing/management/assembly/service(s)/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;convenience of termination clause/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;covenants（契約上の約束規定）/credentials/credibility/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;current yield/cyclical business/&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;deal（商談、取引、合意）/debt instrument/debt service/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;debt-to-equity ratio/decision-maker/deed（権利証書）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;default（債務不履行）/defect/deferred Payment/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;delegate（委任・委託する）/demographics/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;depreciation（減価償却）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;direct placement/private placement/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;private offering/disclaimer/disclosure/discrepancy/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;distribution channel/drop shipping/due-diligence/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;endorsement/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;entity/escalation/escrow（条件付き捺印証書）/estimate&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;/exclusive (right)/exclusivity/&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;facilities/feasibility study/F.O.B.(Free On Board)/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;fair market value/feature/federal/fee/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;fee simple（土地の無条件相続権）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;leasehold（土地貸借権）/fiduciary/firm/firm price/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;first right to refuse/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;renew/purchase/fixed price contract/forecast/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;foreclosure（抵当流れ）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;foreign trade zone/forward supply contract/free and clear/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;freight forwarder/good faith/goodwill（営業権）/guaranty/&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;hard costs/holding company（持株会社）/hold harmless/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;implied warranty/incentive（報酬）/incurred/occurred/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;indemnify（免責の保証をする）/installment（分割払い）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;intangible asset（無形資産）/intention/interest-only loan/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;interest rate/interim（暫定的な）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;interim financing（中間投資）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;interim statement（中間財務報告書）/inventory（在庫）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;invoice（請求書）/IPO(Initial Public Offering)/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;IRS(Internal Revenue Service)/ISO/itinerary/jeopardize/&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;latent defect/leasehold/lender/lessee（賃借人）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;lessor（賃貸人）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;letter of credit(L/C)/letter of intent/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;leverage（影響力・借入資本利用）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;licensing/lien（抵当権）/liability（法的債務）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;limited liability company(LLC)/limited partner/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;line of credit/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;liquidation（清算）/loophole（合法的な抜け穴）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;lump sum（一時金）/&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;malpractice（違法行為）/manifest（積荷目録）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;market-value clause（公正市場価格条項）/maturity date/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;merchandising/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;merger and acquisition/M&amp;A/miscellaneous/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;mortgage（不動産ローン）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;mortgagee/net operating income（純営業収益）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;gross operating income（総営業収益）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;net lease property(triple net)/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;non-negotiable/notary public（公証人）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;notice as soon as practicable/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;obligation/objection/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;OEM(Original Equipment Manufacturer)/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;counteroffer/open-end contract/option/organization chart/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;ORC/&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;P.I.T.I.(principal ,interest ,taxes and insurance)&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;（元金、利子、税金、保険）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;parole evidence rule/participation/partner/party/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;pass-through/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;penalty clause/performance clause/politically correct/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;incorrect/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;portfolio income/potential/power of attorney/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;preliminary/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;the premise（既述事項）/premises（構内）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;price at the time of delivery/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;price protection/price match/pro forma（財務・収益予想）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;pro forma invoice/pro rata（日割り）/pro-rata liability clause/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;pro(s) and con(s)/profit and loss statement/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;proprietary（独占的な）/proposition/prospect/prospectus/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;provisional contract（仮契約）/provisions/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;publicly traded company（上場会社）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;punitive damage（懲罰的損害賠償）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;purchase money mortgage/purchase price/&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;quarter/quota（ノルマ）/quotation/quote/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;rate of return(ROR)（収益率・投資効率）/rating/recourse/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;REIT(real estate investment trust)/reiterate/reformation/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;refund（払戻し）/relevant/irrelevant/representative/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;residential building/residual value/revocable/risk hedge/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;royalty/S corporation/second-guess/sector/segment/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;sensitivity analysis/socio-economic(status)/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;sole proprietor（事業主）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;speculation/sub-contract（下請け）/subject to…/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;subordination clause/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;subsidiary（子会社）/supplement/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;stipulation（明文化すること）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;structure/restructure/&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;tangible asset（有形資産）/tariff（関税率表）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;tax exemption（税の特例）/incentive/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;tax deduction（課税控除）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;tax deferred/tentative/termination/transaction（取引）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;unanimous/variable costs/validation（確認）/validity/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;viability/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;waive/waiver（棄権証書）/waybill（貨物運送状）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;win-win situation/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;without recourse（責任の追及がなされないこと）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;wire transfer（電信料金）/wholesale price（卸売価格）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;working capital（流動化率）/work in process/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;write-off（帳消し）/&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;yield（利回り）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;・ ２５－３０頁&lt;br /&gt;＜ビジネス表現＞&lt;br /&gt;Shall we proceed? /Shall we move forward? /May/Can we have…? /I apologize. /We appreciate your effort/courtesy/professional courtesy. /It is wonderful. /That will be terrific/wonderful. /We appreciate. /We believe…/We assume/presume…/We will consider the possibility. /We must contemplate the possibility. /We will reconsider the matter. /We believe we are able to handle it. /It will be acceptable for us. /Unfortunately/Regrettably we must reject your offer. /We must withdraw (then/this time). /We would like to express that…/We do prefer your suggestion very much. /Your offer is very enticing. /We understood your point. /We believe we are able to achieve it. /That will be understandable. /It is a fairly/rather large figure. /It is our most concern. /We do prefer that suggestion as well. /We are very pleased/grateful. /It is our pleasure to announce our new product. /We sincerely appreciate the opportunity. /Our president reiterated that …/We realized it now. /We are aware of the situation. /Shall we engage in our negotiation. /We have to finalize/complete…/We do appreciate/require your assistance. /We would like to reserve the option. /Regarding/Concerning that specific issue…/We do require extra time to consider. /That condition will put us into a vulnerable position. /Your apology is accepted./We accept your apology. /I concur/agree(with you). /It is an irrelevant issue. /Considering your opinion, we believe…/We are not able to purchase at the price you suggested. /Unfortunately/Regrettably, we cannot accommodate/facilitate/satisfy your request. /Could we have the breakdown? /We must consolidate them. /We will reserve the option for now. /We are not exercise the option at this moment. /Your statement/explanation is unclear/confusing. /Your new term will put us into an awkward position. /We will accept your offer , subject to…/Your offer is very enticing/attractive. /Your question is legitimate. /I would like to have your answer at your earliest convenience. /We will rectify the issue immediately. /We misconstrued your proposition regarding shipping. /I’m wondering if I could ask your credential. /We misconstrued your intention. /We contest your accusation. /You did not elaborate the new technology at the last meeting.&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;・ ８４頁&lt;br /&gt;＜情報提供を依頼するときに役立つ表現＞&lt;br /&gt;Would it be possible for you to help me on that regard? / Would you tell me about the marketplace? / Do you think the company is capable of satisfying our quota/goal? / We’ve been exploring the possibility of…/We’ve been considering/planning…/If you could…,it would be really appreciated./We will be very grateful if you could…/If that is not so much trouble for you,…/May I trouble you to ask…? /I would like to ask you something. /Would you please send me the information via fax/email? /Would you be kind enough to spend some time for us? /Thank you for your time and effort. /I appreciate your effort/help(professional)courtesy. /Your help is most appreciated. /I have been wondering if you could…/ Could you consider the possibility of doing…?&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;・ １１４－１１５頁&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;Implementing Contingencies into Agreement&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;加速化条項(Acceleration Clause)/自動更新条項(Automatic Renewal Clause)/責務条項(Liability Clause)/公正市場価格条項(Fair-market-value Clause)/罰則条項(Penalty Clause)/実績条項(Performance Clause)/責務の比例条項(Pro Rata Liability Clause)/従属条項(Subordination Clause)/終結条項(Termination Clause)/テスト期間条項(Trial Period Clause)/通達条項(Notification Clause)/裁判法廷の所在場所に関する条項(Clause of Court Location)/優先権条項(First Right Clause)&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;・ １４１頁&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;INCOTERMS (International Commercial Terms)&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;＜国際商工会議所(International Chamber of Commerce:ICC）が１９３６年に国際取引、特に商品売買の公正のために取り決めたもの。＞&lt;br /&gt;FAS(Free Alongside Ship)/FOB(Free On Board)/CFR(C&amp;amp;F Cost and Freight)/CIF(Cost, Insurance and Freight)/DES(Delivered Ex Ship)/DEQ(Delivered Ex Quay)/EXW(Ex Works)/FCA(Free Carrier)&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/19486128-116645308775148082?l=etcolette.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/116645308775148082'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/19486128/posts/default/116645308775148082'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://etcolette.blogspot.com/2005/06/blog-post.html' title='『英語ビジネス交渉の基礎知識』（ジャパンタイムズ、２００６）'/><author><name>salut</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry></feed>
